ちょうど2年前の6月に上演され、今回はその再演。
前回のプログラムと比較すると、キャストは主要な登場人物がすべて同じで、妖精の一部と子役のインドの少年(ダブルキャスト)が変わっているだけであった。
2年前に見ているのに、初めて見るような新鮮な驚きがあった(それだけ忘れているともいえる)。
それなのに2年前の観劇日記を読み返してみると、今回初めて気がついたつもりのことがきちんと書かれている。たとえば、ハーミアの恋人のことで父親のイージアスが、シーシアス公爵に訴えに出る場面で、二階のバルコニーから事の成り行きを心配そうに見ているヘレナの姿がある。
この演出は面白くていいなと思っていたら、このことも前回の観劇に日記に書かれていて、自分が忘れていただけであった。
で、今回は前回の観劇日記に書かれていないことで気づいたことをメモっておく。
それはいくつかの和解の場面で、シェイクスピアの台詞やト書きにない所作の演出。
喧嘩の原因であったインドの少年を得たオーベロンが、ティターニアの魔法を解き、二人は和解する。
夜明けが迫って妖精たちが退場する時、ティターニアに手をつながれたインドの少年が、オーベロンに「おとうさん」と呼びかけ、三人並んで手をつないでいく。
その「おとうさん」という呼びかけが、ふたりを一層結びつける役割をして、和解を強く感じさせた。
そして、ハーミアと父親イージアスの和解。
これもシェイクスピアの原文にはない。
ケアードの演出では、アテネの職人たちが芝居の後に踊るバーゴマスクを宮廷人たちも一緒になって踊る。
その踊りの仲間に加わるのを渋っていたイージアスが、ハーミアと結婚したライサンダーを踊りの相手に引き寄せ、抱きしめる。
それを見たハーミアは、はじめて父親と和解することができ、これで劇中の不和の間柄がすべて丸く収まった。
そうやってあらためて見ると、『夏の夜の夢』は和解の劇ともいえる。
今回の座席は7列38番だが実際には前列から4列目で、しかも舞台真正面の席であったから、すべてが非常によく見え、臨場感もあった。
そのせいだけではないと思うが、前回見た時に残ったもやもやとして不完全燃焼の気持が今回はなく、心から楽しく、面白いと思えた。
麻美れいの演技が 大きく、しかも細やかで、スケールの大きさを感じた。
オーベロンとシーシウス公爵を演じた村井国夫も、前回に比べて演技の太さを感じたのは座席の位置だけの問題ではないだろう。
そして今回の舞台であらためて感じたことは、演出家のケアードがプログラムで語っている、「芝居も遊び もプレイ(play)」であり、芝居は遊びと同様に楽しむものだということ。
心からこの芝居を楽しむことができたのは、役者が楽しんで演技しているからだと感じられる舞台でもあった。
土曜日の昼の公演だというのに、S席の1階席後方部は3割方空席であった。
翻訳/松岡和子、演出/ジョン・ケアード
6月6日(土)13時開演、新国立劇場・中劇場、チケット:(S席)5670円、座席:1階7列38番
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