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  椿組公演 『ささくれリア王』      No. 2009-015
 

〜 がざびぃ芝居月、 それぞれのシェイクスピア第三弾 『肉はきれないよ』 〜

いわゆるバックステージものではあるがその構造が面白かった。

二層構造というか、二重構造的になっていて、シェイクスピアの『リア王』劇のバックステージと、劇団の本番までの稽古風景を通して劇団そのもののバックステージとなっていて、二重に楽しむことができた。

弱小劇団ささくれ団が創立10周年を迎えることができ、その記念公演に自称プロの俳優の参加を得て、シェイクスピアの『リア王』をやることになった。

ところがその主役のリアを演じる自称プロの俳優が朝ドラの出演が決まって、突然、劇団の公演を降りることになった。

劇団の座長笹木はその主役あっての今回の上演ということで、劇団員に公演中止を申し出るが、おさまらないのは劇団員たち。

ささくれ団の稽古場は運送会社の倉庫を借りていて、その倉庫で若い劇団員に新国劇を説明するのにその運送会社の中島会長が自ら演じてみせるのを見ていた笹木座長は、まったくの素人であるその会長を主役のリア王にすることを思いつく。

中島会長は娘の夫に社長の座を譲ってからは自分の意見も無視されるようになって、会社にも出なくなり今ではその倉庫で一人ひっそり過ごすだけの生活をしていたのだが、『リア王』の台本を偶然手にして、「俺は誰だ?」というリア王の自問の台詞に出会って、その台詞を自分に重ねる。

会長は、新たに生じた「俺は誰だ」という自分探しの疑問を一方にかかえながら、座長の励ましもあってリア王の役を引き受けることになる。

稽古の進行は当公演の開演日の日程と全く同じように設定されていて(つまり初日が4月24日という設定になっている)、稽古場には公演まであと何日という日めくりと、劇団員のチケットの売り上げを示すグラフが貼られていて、日を追うごとにそのチケットの売れ行きのグラフも伸びているという細かい配慮も見せている。

劇団員の恋愛のもめごとや、売れない俳優として芝居をやっていることの自虐など、それでも人に活力を与えて社会への貢献をしているのではないかというかすかな希望が芝居を続けさせている、などの演劇人、劇団人としての現実をさらけ出しているところが、妙にリアルに感じられるが、惨めさが見られないところがいい。

劇団のバックステージとしての面白さも尽きないが、『リア王』のバックステージとして感心した台詞がある。

稽古の後、リーガンを演じる劇団員西崎なつ子が道化役を演じるピノコに、コーデリアの台詞の、夫を持てば夫に愛を注ぐことになるのでお父様だけを愛すことが出来ないというのは嘘だと思う、それはコーデリアが人を愛したことがないからだと思うと言うのには、目から鱗の思いがした。

なつ子は、愛はもっと大きなもので、人を愛せば他の人への愛も同じように大きくふくらみ、限定されるようなものではないと言うのだ。

この台詞を聞いたときズシンとしたものを感じ、この台詞を聞くことができただけで十分な価値があると思った。

公演3日前の総ざらえ稽古で、中島会長がコーデリアの死を慟哭する場面は、ハムレットが嫌った誇張的な所作で演じるが、なぜか新国劇的な哀調を感じさせるものがあるのだった。

こういう芝居に出会うと心温まるカタルシスを感じる。

今日は新しい劇団に出会った僥倖を味わうことができた。

 

(作・演出/阿藤智恵、美術/加藤ちか、4月29日(水)昼、下北沢、ザ・スズナリにて観劇)

 

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