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  東京デスロック公演 『リア王』      No. 2009-009
 

中央を頂点にした菱形の舞台の両辺いっぱいに、30度の傾斜で鎧の草摺のようにして板が坂になって取り付けられている。

多分後方も同じ構造だと思われるが、そこは見えない。

その舞台中央の前方には、赤いランドセルが3つ、並んで置かれている。

開演とともに、映像でKingLearの字幕が後方のホリゾントに映し出され、石川さゆりの演歌『天城越え』が大音量で鳴り響く。

曲は、歌詞の2番途中まで続き、突然歌が止むとともに、舞台の上で伏していたゴネリル(佐山和泉)がまず起き上がる。

ゴネリルはゴネリルの台詞とリアの台詞を立て続けに切れ目なく語る。

リアの姿はホリゾントにシルエットとして映し出されている。

続いてリーガン(堀井秀子)が起き上がり、同じようにリアとリーガンの役を演じる。

最後にコーデリア(石橋亜希子)が起き上がり、また同じようにコーデリアを語り、リアを演じる。

リアを諌めるケント(坂本絢)のセリフ回しは抑揚を殺した無表情のセリフである。

ほとんどの台詞に役としての表情がなく、感情移入がない。

叫びのようなセリフであったり、無感動のセリフであったり、無表情のセリフであったり、そして一人が時に二人のセリフを語ったり、そのセリフ回しに一つの特徴がうかがえる。

舞台の上にあった3つの赤いランドセルは、リアの国譲りの領土の表象であった。

リアに追放されたコーデリアが手にするはずであった残されたランドセルを、ゴネリルとリーガンが同時に手を出して奪い合う。

演歌の多様もその一つであるが、遊びの要素の多い舞台である。

リアに呼ばれた道化は、コーデリアの役を演じた石橋亜希子がウエディングドレス姿で登場し、歌を歌ってリアに応じる。

シルエットのリアは、ゴネリルの館から追い出される場面でシルエットから抜け出し、その姿を現わす。

リアは、紙で作った金色の王冠をかぶり、サンタクロースのような白い付け髭をつけ、杖を手にしている。

リアを演じる夏目慎也は34歳(ちなみにこの劇団では彼が一番の年長)。

老いを演じるのは無理と思ったかのように居直った、笑いを取る演出がなされている。

荒野の嵐の場面は、リア自らが扇風機を持ち出してきて、舞台に座ってその風を受ける。

嵐の場面のリアリティを求めるのは無理だとわきまえて逆手をとったような演技(演出)である。

しまいには、リア(というより夏目慎也その人)が、扇風機を抱いて、赤子をあやす格好を始める。

狂気のエドガー(佐藤誠)の裸姿は白い褌、リアの裸は赤い褌姿というのも、並べてみれば遊び心が感じられる。

遊び心のもう一つの工夫、3幕7場の場面をエドマンド(山本雅幸)が高座で落語調にして語るところなども面白いと思った。

エドマンドの愛を競うゴネリルとリーガンが、両方の傾斜板を別々に上ってエドマンドの手を取ろうとする。

その坂道を何度も滑り落ちる場面で、再び『天城越え』の曲が鳴り響く。

これはこの場面と歌詞と曲がよくマッチングしていると感じ入った。

コーデリアが殺され、リアは彼女を背負って登場し、例の坂道を上る。

そしてその時にかかる曲も『天城越え』。

開幕時に聞いた時の『天城越え』は唐突感を免れなかったが、こうして通して見てみると、テーマ曲としての一環が感じられる。

このことはアフタートークで演出の多田淳之介から聞いたことであるが、リアが目に付けたゴーグルは、それをつけると視界が利かなくなり、ほとんど物が見えないそうである。

また耳にあてた装具もそれを付けると、まったくといっていいほど聞こえないという。

狂気のリアが身につけた種々の装身具は、体の不自由さを体感するために実際に障害者の方が用いる物を借用して使用したということである。

老いとはどういうことかを考える工夫の一つであった。

 

上演時間はわずか1時間20分と本来の『リア王』からすると相当に凝縮されたものであるが、省略された場面は記憶の中で想像力が補うせいか、さほど省略された感じがしなかったのが不思議だ。

荒削りのする舞台だが、意欲を感じさせるさわやかさがあり、それが新鮮でもあった。

 

(翻訳/松岡和子、構成・演出/多田淳之介、3月29日(日)昼、富士見市キラリ☆ふじみマルチホールにて観劇)

 

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