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  三条会公演『ロミオとジュリエット』      No. 2009-004
 

ク・ナウカの活動案内でこの三条会の『ロミオとジュリエット』を知ることができた。

三条会はHPを参照すると、千葉大学演劇部出身者がその中核となって、同出身者である関美能留が1997年に千葉市を拠点に旗揚げ。近年はローカルの活動から東京にも進出。

今回は第19回下北沢演劇祭に、一昨年7月千葉県南房総市のシェイクスピア・カントリー・パークと美浜文化ホールで上演した『ロミオとジュリエット』をもって参加。

三条会の上演記録を見る限りシェイクスピアを特に主体にしてやっている劇団ではないが、昨年は7月に千葉公園内特設野外劇場で『真夏の夜の夢』を上演。シェイクスピアの作品はこの2作品だけである。

先の2回の上演と今回の公演の違いがあるのかどうかは今回初めて見るので何も言えないが、チラシの案内を見ると、今回の『ロミオとジュリエット』は、ジュリエットが登場している場面だけを抜粋して台本を作ったと断り書きをしているので、前回とは違っているようでもある。

キャステイングを見ると、すべての登場人物がジュリエットを演じるようになっている。

ロミオがロミオを演じジュリエットのセリフを語る。キャピュレットがキャピュレットを演じジュリエットのセリフを語る。乳母が乳母を演じジュリエットのセリフを語る。

というようにジュリエットが登場してその相手をしている登場人物が全員、ジュリエットのセリフを語る。

僕はロミオでジュリエット、僕はティボルトでジュリエット。私は修道士ロレンスでジュリエット・・・

すべての人の中にジュリエットがいる。

そこで僕は、いまこんなことを考えている。

人は亡くなっても、その人を記憶している人が生きている限り、その人の中で生き続けていると。

人がほんとうに死んでしまうのは、その人のことを記憶している人がすべていなくなったとき。

その趣向としての面白さはあるが、2つほど感じた難点がある。

一つはロミオを演じる橋口久男のセリフが、調子はずれな絶叫となったりして細やかさがないのが残念であった。

もう一つは、バルコニーシーンでジュリエットのセリフがホリゾントのスクリーンに文字が映し出されるだけで、観客はその台詞を目で追わなければならなかったこと。

ジュリエット(寺内亜矢子)は、台詞が映し出されるときはホリゾントに姿勢を向け、台詞のないときは舞台正面を向き、スクリーンにはハートが映し出されている。

これが結構長く続いて、スクリーンのセリフを目で追って読むのにいらついてくる。

折角の名場面が興ざめになってしまう。

ジュリエットが自分のセリフを語る場面もあるのだから、この場面こそジュリエットの声で聞きたかった。

登場人物で面白いと思ったのは、キャピュレットを演じる榊原毅。

彼の風貌といい、セリフ回しといい、所作といい、新宿梁山泊のコビヤマ洋一そっくりであった。

セリフ、所作にこの劇団としてのこのような特徴があるのかどうかは今回初めてなのでなんとも言えないが、一つの様式を作り出そうとしている姿勢は伺えるような気がする。

劇中いろいろな歌が挿入されるが、坂本九の歌が懐かしかった。

上演時間は約1時間30分。

 

(演出/関美能留、2月20日(金)夜、下北沢のザ・スズナリにて観劇)

 

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