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  中野成樹 + フランケン 『44マクベス』             No. 2009-003

 チラシで見たタイトルと上演会場(日暮里d−倉庫)、それに演出者+カンパニー(フランケンズ)の物珍しさに惹かれてインターネットでチケット申し込み。
 いつもなら迷わずS席(前売り3800円)申込なのだが、A席(同3000円)の添え書きが「見えたり見えなかったり」のナカフラ定番演出がご堪能いただけるお席です、に興味がわいてA席とした。
 ところが当日行ってみると、座席はB11番で前列から2番目、右端から3番目の席で、普通だったらS席の感覚。それに見えたり見えなかったりという心配(遮蔽物)もなく、ごく普通の席であった。
 公演のチラシには『44マクベス』の「44」について特に説明もなく、それに興味があったのだが、こちらも当日の折り込みチラシに、いのうえひでのり『メタルマクベス』や東京デスロック『WALTZ MACBETH』などの上演やメタルバンド・44マグナムにひっかけてと記されていて、内容的には特に意味がないことが判明。
 HPで公演の活動歴を見る限り、シェイクスピアとはこれまで特に縁がない。
 これまで、海外の作品をいずれも演出者中野成樹が誤意訳として脚本をおろしている。その誤意訳という言葉にも、どのような形に翻案されるであろうかという関心もあった。
 観劇前の期待というか関心度は高かったのだが、総合的にはその関心度を満たしてくれたとは言い難かった。
 舞台後方、上下2階の各階がそれぞれ4つのボックスの小部屋に仕切られている。
 魔女3人、といっても一人はTシャツ姿の若い男、あとの二人もとんがり帽子をかぶった女の子としましま模様の服を着た女の子、コンビニの前で見かけるようなどこにでもいるような現代風若者として舞台上手前方に登場。
 その3人が「なんとなく」本気に真剣でないことで真剣にマクベスに何か仕掛けようかと駄弁っている。
 『44マクベス』は、3人の魔女、というより3人の若者による、遊び感覚のゲーム。
 マクベスをはじめ、登場人物の台詞はすべてセリフというより、駄弁っている。これに我慢が出来なかった。
 会話が途切れる間合いが間延びして息苦しく感じられる。
 マクベスとバンクォーの登場は、黒澤明の『蜘蛛巣城』の本歌取り。
 二人はフォレス近くの森で道に迷って、同じ道の行き戻りを繰り返す。
 舞台では、下手側ボックスの上下二部屋を上ったり降りたりを繰り返す。
 これなどは黒澤明の映画を見ている者には面白いと思える工夫の一つだと思う。
 ナカフラ・カンパニーのメンバー構成の関係か意図的かは別にして、マクベス、マルカム、アンガス、フリーアンスの役を女性が演じているのも特徴の一つ。
 ダンカン殺害の夜、ロスが城を抜け出して女に会いに行っていたため閉めたはずの紋の鍵があいたままだったり、そのロスがバンクォー殺しに加わっていたり、原作にはない改作翻案も楽しむこともできる。
 バンクォー殺害の殺し屋が、門番とマクベスに殺人についてひとくさり語る会話は、死体バラバラ事件の現代の風潮をコミカルに、それだけにリアルに感じさせるトピカルな風刺として挿入。
 マクベスが王位を保つためにはバーナムの森の木を守れという魔女の予言、命令は、マルコムの味方たちによって伐採されて覆されが、この魔女の台詞は環境問題警鐘の象徴として聞こえる。
 マクベスはそれを守れなかったために死ぬ。
 マクベスは戦死するのではなく、マクベス夫人の死後ずっと寄り添ってそのまま死ぬという設定に変わっている。
 マルコムの最後の勝利宣言は、つい最近のオバマ大統領の就任演説をなぞっているのもトピカルである。
 セリフのかったるさを別にすれば、現代風(服装も現代風)にアレンジされた意欲的な作品だとは思う。
 帰りが遅くなるため折角のアフタートークは諦めて、そのまま帰った。
 出演/石橋志保(マクベス)、野島真理(マクベス夫人)、中村彰男(バンクォー)、ゴウタケヒロ(ダンカン王/老人/医者)他、

 

誤意訳・演出/中野成樹
2月19日(木)19時30分開演、日暮里d−倉庫、チケット:(A席)3000円、座席:B列11番

 

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