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  劇団昴公演 『ジュリアス・シーザー』      No. 2008-011
 

舞台美術にまず目が引かれた。

上手より中央に、首から上と両腕がなく、足はひざの下から埋もれていて、舞台半分を占有するばかりの大きな裸身の彫像。

その上半身は、円盤投げでもしているかのような筋肉の躍動と緊張が漲っている。

首は、舞台下手上方に、

「そんなはずはない」

というような表情で、今切り取られたばかりのようにして無念の表情で浮かぶ。

演出のニコラス・バーターはこの『ジュリアス・シーザー』のテーマを、「権力闘争」と「暴力」をキーワードにした舞台装置の石井みつるに求めたという。

その舞台装置からは、「暴力」というイメージが強く意識される。

首のないこの大きな彫像は、アメリカ軍の侵攻によって制圧されたイラクが、その民衆たちによって暴君フセインの彫像を引き倒したことを思い出させる。

シーザーがキャピトルで暗殺されて倒れたとき、その首から赤い血が流れる。

その血は、赤い涙のようにも感じられる。

「権力闘争」は、フイリッピの戦いに臨んでオクテイヴィアスが、合戦の持ち場争いにアントニーの主張を退け、

「きみに突きかかかるつもりはない、ただ、そうしたいだけだ」

と言うだけで自分の主張を通してしまうことで、次の権力者が誰であるかということがはっきりと見えてくるという、非常に象徴的な台詞である。

冒頭の場面の、靴直しの市民が護民官に向かって言う台詞は、ふてぶてしく両者の関係としては、はなはだ違和感を覚えた。

シーザー暗殺を前にした場面では、暗殺者たちが暗殺の情報が漏れたのではないかと懸念の会話を交わす場面では、会話している二人のみにスポットを当てて、その他の人物群は溶暗の状態でストップモーションがかかり、それが繰り返されるのが、却ってわずらわしく感じた。

登場人物の違和感としては、仲野裕のブルータス。すこし老けすぎのブルータスという気がする。

その登場人物で一番輝いて見えたのが、キャスカを演じる田中正彦。

彼との釣り合いから考えれば、個人的感想としては、劇団昴のなかでは、ブルータスは宮本充をもってくるべきではないかと思った。

『ジュリアス・シーザー』と『ハムレット』はシェイクスピアの前後した作品であるが、今回の『ジュリアス・シーザー』を見ていて、シーザーの亡霊の登場の仕方が、『ハムレット』の亡霊(ガートルーズのクロゼットに登場する場面の)に似通った印象を感じた。

出演者は、金尾哲夫(シーザー)、石田博英(アントーニアス)、要田祥子(ポーシャー)、磯部万沙子(キャルパーニア)、牛山茂(占師/シセロ/他)、北川勝博(メテラス・シンバ/フレイヴィアス/他)、など。

途中15分の休憩を挟んで、2時間35分の上演時間。

 

(訳/福田恆存、演出/ニコラス・バーター、美術/石井みつる、6月21日(土)、
東池袋の‘あうるすぽっと’にて観劇)

 

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