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  Studio Life 公演 音楽劇 『夏の夜の夢』      No. 2008-007
 

非常にシンボリックな所作で、静かな動きの中に衝撃が走る。

このヒポリタは、シーシアスと戦って降伏したアマゾネスの猛々しさはなく、清楚で物静か。

シーシアスとヒポリタは最近ではオーベロンとテイターニアの役をダブリングすることが多いのだが、この舞台では別々に演じられている。

この劇団は男性だけからなるので、当然のことながらすべて男優が演じる。

面白いのは、ライサンダーとデイミートリアスの男役より、ハーミアとヘレナの女役の方が大柄で、なかでもハーミアが一番大きくたくましい。

台詞もそのことを考慮して、それにあったように書き換えられているところが面白い。

最後のカーテンコールの挨拶で、クウインスを演じた藤原啓児が、

「メデイアやその道の関係者も多数観劇され、シェイクスピアをこれほど観客が楽しんでいるのはこれまで見たことがない」

という賛辞をいただいたと感謝していたが、確かに破天荒な面白さがあった。

観客の8割方が若い女性で、シェイクスピア劇を見に来たというより、Studio Lifeの俳優を見に来たという感じが強く、歌の場面では手拍子などで大いに乗っていた。

また、こちらはその空気が読めないのだったが、特にオーベロンとパックのやりとりの場面では大いに笑っていた。

舞台上の二人が、どこまでがアドリブかわからないようなやりとりがあり、それが笑いを受けていたようだった。

シェイクスピアの『夏の夜の夢』は、無限(夢幻)の可能性があるのをこのStudio Life版の『夏の夜の夢』を見てあらためて思った。

 

余 話

この劇を見に行く当日のこと、原文を拾い読みしていて、ボトムが夢から覚める場面でふと思いついたことがある。

オーベロンの台詞に、「俺の姿は見えない」というのがあり、妖精の姿は人間には見えないことになっている。

ところがロバの姿に変えられたボトムにはテイターニアやその他の妖精たちが見える。

今までそんなことを考えたこともなかったのだが、シェイクスピアはこんなところにもしっかりと仕掛けをしていることに気づいた。

ボトムに妖精の姿が見えるのは、このロバの姿に変えられていた時だけである。

つまりボトムは、妖精の世界である異界の存在となることによってはじめて妖精の姿が見えるのだった。

彦一話の「隠れ蓑」の逆バージョンのようで面白い。

このことは、僕にとって新しい発見だった。

 

(訳/松岡和子、上演台本・演出/倉田淳、美術/松野潤、4月29日(火)マチネ、
シアターサンモールにて観劇)


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