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  オペラシアターこんにゃく座公演 『夏の夜の夢』      No. 2008-003
 

音楽仕立ての『夏の夜の夢』は、これまでには鳥獣戯画の歌舞伎ミュージカル『真夏の夜の夢』(2001年4月、下北沢・本多劇場)を見たことがある。このときの観劇日記を開いてみると、「とにかく面白い。ハタメタに面白い」と書いてある。

鳥獣戯画の公演をその後見続けるようになったのもその『真夏の夜の夢』がきっかけだった。

 それと比較してみたとき、オペラとミュージカルの違いからくるのか、こんにゃく座の『夏の夜の夢』は面白さの度合いが異なる。

 人物や場所の置き換えはどちらもやっているのだが、鳥獣戯画の方がより徹底して変わっているようだ。

俗人である僕にとっては鳥獣戯画のミュージカルの方に親しみを感じる。

オペラは格調が高くて敷居が高い・・・。音楽的センスのない僕にはまのびした感じがして、前半はほとんど眠りに誘われっぱなしであった。かといってつまらないからでもない。音楽にのせられて眠りに誘われていく、といった感じである。人はあまり緊張しても眠くなるもので、その類の眠気である。

その緊張から開放されたのは、後半の、職人達による「ピラマスとシスビー」の劇中劇。

目が冴えて大いに笑った。やはり俗人は俗人受けするものに反応するものらしい。(所詮、僕はその程度・・・)

物語は、大正時代に時代を移し、場所も避暑地軽井沢の公爵邸での浪漫劇となる、つもり・・・。

登場人物のシーシウス公爵に相当するのが、大久保公爵(大石哲史)。ヒポリタは女優の川上弥生(花島春枝)。二人は<自由恋愛>によって結ばれる。公爵が奪ったというより、夫を捨てて女優の弥生が公爵を選んだという設定である。そこがシェイクスピアさんと大いに違う。

銀行の頭取の娘、千尋(梅村博美)は、許婚の三郎ではなく、恋人の浩三との<自由恋愛>を宣言し、二人は森に駆け落ちする。すべて、これ<自由恋愛>!!

森の妖精の王はコダマの王ヤマトとなり、この役は大久保公爵と同一人物が演じるが、コダマの女王であるカスガは、弥生役の花島春枝ではなく、相原智枝が演じる。僕は最後までヒポリタ役の女優とこの妖精の女王を同一人物が演じていると見間違えていた(僕の席はA席とはいいながら2階席であったので、オペラグラスを使っても、化粧のせいもあって見分けがつかなかった。無分別!!)。

妖精達はコダマと呼ばれ、パックもコダマのガタロという名前がつけられている。ガタロ(井村タカオ)がひざを曲げて歩く姿は小人を連想させる。ガタロでもっとも印象が残るのは、舞台最後の場面で口上を述べた後奈落の丸蓋を上げた時、その奈落から投射する光を顔に反射して、ガタロの顔が河童のように見えたこと。

ロバに変身させられる役のボトムは、庭師凡太(佐藤敏之)が八丈の一物を持つたぬきに変えられるのも違いの一つ。

名前や役どころはこのように変わるけれども、大筋としての全体像は変わらない。その点では鳥獣戯画の『真夏の夜の夢』が大幅に変わっている。

かといって、この劇のサブタイトルでもある大正浪漫劇のロマンの香りがあるようには思えない。

「あちゃらかオペラ」というほどの羽目を外したようでもない。こんにゃく座のオペラはむしろ庶民的香りをもつものだと思うのだが、鳥獣戯画のハチャメチャ的な八方破れでもない。そこが僕にとっては少し高尚過ぎるのかも・・・・。

台本は劇団黒テントの山元清多、演出は山元清多と同じく劇団黒テントの立山ひろみ。作曲は劇団代表の萩京子。半円形に張り出した舞台に、玉虫色の幅広の紗織の垂れをいく本も垂らして舞台空間に深みをもたせ、森の場面ではその垂れ布の幅を細くしたものをさらに全面的に垂らして森の奥行きを出しているのが印象的であった。美術は荒田良。

(2月9日(土)、世田谷パブリックシアターにて観劇)


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