観劇日記 あーでんの森散歩道 高木登
 
  テアトル・デュ・シーニュ/日欧舞台芸術交流会公演 『マクベス』     No.2007-023

― 看板と異なる謎だらけの公演 ―

 当初この公演は、チラシでは『マクベス・日韓版』としてソン・ジュンチクの演出で行われる案内であったが、どういういきさつがあったかは不明だが、演出は舞台監督の「やすかわしゅういち」に変更され、公演のチラシにはあわせて台本も「やすかわしゅういち」と手書きで追加されていた。
 そもそもなぜ「日韓共同」の企画がされていたのだろうか?
 翻訳は松岡和子となっているが、冒頭に出てくる魔女の台詞では、松岡和子訳の「いいはひどい、ひどいはいい」でなく福田恆存訳の「きれいは穢ない、穢ないはきれい」を採用していて、必ずしも統一されていないようだ。
 最初のチラシによるキャストでは、武正忠明がバンクオーとなっていたが、修正のチラシでは彼はダンカンとなっているのは演出者の意図の違いによるものか?
 キャストは、マクベスを演じる文学座所属の原康義とマルカムを演じる細貝弘二を除けば、全員が俳優座所属。
 役者たちの衣裳がロープにいっぱい吊るされた楽屋内で、開演の準備で役者たちが思い思いの動作をしている風景から、時間が来て、登場人物たちがそれぞれの衣裳をまとって整然と横一列になって舞台上手、下手へと交差して退場していく。
 舞台上手後方に、太鼓、琴、尺八の3人の楽手。
 この和様の楽器がかもし出す雰囲気が効果的な印象を与える。
 3人の魔女は、一人は女性(山本祐梨子)であとの二人は男優が演じている。
 舞台の進行は淡々として流れていくような感じで、全体としてインパクトを感じなかった。流れが良すぎて却って心に留まるものがない、そんな印象である。
 マクベスの帰還を、マクベス夫人(小川敦子)は部屋着を脱ぎ捨て、深紅のタイツで濃艶な姿となって迎え入れ、二人は激しく抱擁し合う。久しく孤閨を守っていたマクベス夫人と、長い戦闘からの帰還、そして魔女たちに約束された未来について語るのは、寝室での激しいベッドシーンこそが最もふさわしいと思う。
 その意味でこの演出は、特に目新しく新鮮と言うべきものでもないのだが特筆してもよいと思うが、それでも印象は淡白な感じであった。
 ダンカンを演じる武正忠明は、門番の役も演じる。役柄としてはうまいのだが、面白みに今ひとつ欠けていた気がする。
 全体的に淡々とした印象であるが、最後に大きなヒネリを加えている。
 妻子を残してイングランドに逃亡してきたマクダフ(田中美央)に、マルカムは彼を試すための自己誹謗の台詞をその場面では言わない。そのため、マクダフがマルカムに悲観して立ち去ろうとするのに説得性が欠けている。
 その台詞は、マクダフがマクベスを倒してその首をマルカムに差し出したとき、最後の場面で言われる。
 <暴君を倒した後、哀れな祖国にはこれまで以上に悪がはびこり、更に苦しむことになる。次に王位を継ぐ者のせいで>と。
 マクダフとマルカムは上手と下手に分かれていて、二人にスポットライトが当てられ、溶暗・・・・。
 気持の上で何か後味のすっきりしない終わり方であった。
 次に王位を継ぐものが暴君となることを予兆する終わり方そのものは特に目新しい演出というわけでもないが、この舞台の流れの中での必然性をあまり感じなかった。というより、なぜ?と言う気持の方が強い。
 はじめの方で述べた、舞台の流れが淡々としている印象は、この舞台が全体的にダイジェスト版のような感じ からくるものではないかと思う。コンパクトによくまとまっている、演技もそれぞれにうまい、しかし必要な余分なものがないための物足りなさともいうべきものだろうか。
 上演時間は休憩なしで1時間50分。

 

訳/松岡和子、台本・演出/やすかわしゅういち
9月21日(金)19時開演、俳優座劇場、チケット:4000円、座席:7辣8番

 

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