観劇日記 あーでんの森散歩道 高木登
 
  YSG・DRAW企画・第4回作品 『リア王』 (King Lear)       No.2007-016

~ ドラマティック・リーディングの可能性を求めて ~

 前回(今年の1月)も雨だったが、今回も台風4号の影響で雨。
瀬沼達也を座長とするYSG(横浜シェイクスピア・グループ)が、2005年8月に始めたシェイクスピア全戯曲DRAW(Dramatic Reading, After Theatre Talk)企画第4作目は、YSGとして近い将来それをもってロンドン公演を目指す作品、シェイクスピア四大悲劇の一つKing Lear。
プログラムは、ドラマテイック・リーデイングとアフタートーク、そしてワークショップ。
参加者は前回も出席していた「シェイクスピアかるた」の吉見さん、長島さん、初参加の町田のシェイクスピア・グループの新納さんとヒナガさん、そしてこの会のサポーター自称(?)の杉下さん(前回は所要で欠席)、そして他2名であった。
ドラマテイック・リーデイングは1幕1場、3幕2場、4幕7場の3場面を、佐藤正弥リア王グループと瀬沼達也リア王グループの2バージョンでのリーディング。
佐々木隆行の簡潔にして要領を得た場面と状況の説明、そして出演メンバーの紹介。佐々木さんの朗々とした響きのナレーションに思わずうっとり。
最初は佐藤正弥グループによる古代ブリテン・バージョン。
佐藤さんのリア王は、荘重さを強調するかのようにゆっくりした台詞回し。それがコーデリアの返事'Nothing'に怒りを触発されて雷鳴のような激しい台詞回しとなっていくのは圧巻である。
1幕1場でリアの怒りが嵐を呼び込み、3幕2場で本物の嵐の場面となる。
そして4幕7場は嵐も静まり、コーデリアとの再会と和解で穏やかで静かな場面へと変ずる。この場面では、コーデリアを演じた柴田恵子の演技(それはもうリーディングを超えて演技となっていた)に目頭が熱くなってしまった。
2回目は瀬沼さんのリア王は、17世紀、つまりシェイクスピアと同時代を想定したバージョン。
瀬沼さんの台詞力(英語の発音、発声を含めて)は今更述べるまでもないことだが、彼が演じるリア王は佐藤さんのリア王に比して早口のリア王。その対比において、リア王のコミカル性を感じさせる。ここでは1回目でコーデリアを演じた柴田さんはリアの次女リーガンを演じ、この場面でもやはりもうそれは朗読を超えた演技となっていて、台詞を言っていない場面でも目が台詞を発していたのが素晴らしい。
アフタートークで、座長の瀬沼さんが、「今、世の中では'朗読'が流行っているが、その中でYSGのDRAWがどうあるべきかまだ模索中の段階である」という趣旨の発言をされていたが、自分が参加したのは今回2回目でしかないが、今回みていてその方向性というものが少し見えてきたのではないかと感じられた。
朗読劇とは言いながら、衣裳も場面に応じて変化をもたせ、それなりの雰囲気を作っている。台詞にしても朗読劇というより、本番前の立稽古(がどんなものであるのか、実際に立ち会ったことがないので自分の想像でしかないのだが)に近いものだと感じた。もうほとんど台詞に所作が伴ってくるようなそんなリアルさがある。
第1回、第2回と見てこられた杉下さんの言葉を借りれば、この4回目のDRAWはこれまでとまったく異なっているということであった。より演技に近づいているというようなことであった。
それが進化なのか、深化なのかはまだ2回目の参加でしかない自分には判断できないが、前回の『ヴェニスの商人』と比較すれば、それは'深化'といえるような気がする。
DRAW企画のいいところは、アフタートークが一方通行でなく、参加者を含めていろいろな意見や感想を聞けるということである。特に同じ朗読(演技)を見ていても、その好みや印象が異なる感想を聞くのは、出演者にとってもそうであるだろうが、聞いている自分にとっても非常に参考になる。
シェイクスピアの台詞は、「そのように書かれている」というのが出演者の皆さんに共通した意見であったと思うが、リーガンを演じた柴田さんが、「リーガンの台詞は次女の台詞」と発言されたのは、これまで自分としてはまったく意識していなかっただけに新鮮な発見であった。一般的に次男次女は上を見て育っているので要領がいいというのが特徴だが、柴田さんはシェイクスピアの台詞にはそれがはっきり出ているという。
よく聞くことであるが、「せりふがいわせてくれる」ということを、ゴネリルを演じた池上由紀子さんも同様なことをおっしゃっていた。そのゴネリルを演じた池上さんは、BBC版の『リア王』を見て、ゴネリルの台詞をどのようにすべきか迷われたという苦労話をされたが、そのことも大変参考になった。
自分としてはシェイクスピアを読むのに字義的意味を追って読むのが精一杯で、台詞をこのように生きた言葉として捉えた発言にはやはりはっと感じさせられることが多く、大いに参考になる。
瀬沼さんや池上さんの英語力、台詞力の素晴らしさは、わずか1行の台詞を8時間もダメ押ししてはやり直しさせた大学時代の恩師のおかげであることなどや、佐藤正弥さんは野村万作の弟子として狂言を修行されていることなど、アフタートークではいろいろと興味ある話が伺えた。
聞いていてどこか初々しさを感じていた道化を演じた小池智也君は、シェイクスピアを始めてまだ1年足らずで、それまでは現代劇をやっていたが、今ではすっかりシェイクスピアにはまってしまったとのこと。
ナレーターを務められた佐々木さんは、プロの俳優でもあり声優でもあるようですが、最近『かもめ』を演じたチェーホフとシェイクスピアを比較して、リアリテイと超リアリテイということを述べられた。これもまた演じる立場からの発言としてリアリテイがあった。
ワークショップでは、1幕1場を、僕はぶっつけ本番でリア王をやることになり、ゴネリルを新納さん、リーガンを吉見さんが受け持たれ、その他は、出演者側の瀬沼さんがコーデリア、ケントを小池君が演じた。
自分でやってみて驚いたことだが、ぶっつけ本番であっても、台詞を言うのではなく、言わせられているという感じで言葉が飛び出てくるのだった。そして台詞を発する恍惚感のようなものを感じた。
1時から5時までの4時間がなんだかあっという間に過ぎ去った。

              7月14日(土)、横浜・馬車道 大津ギャラリー


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