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  『国盗人』 (『リチャード三世』より)      No.2007-015
 

予約席はP13で1階席の最後列であったが、この日はNHKの収録で自分の席にはカメラが座っていて、そのためM11席と前方の席に変更してもらえたのはラッキーであった。世田谷パブリックシアターの観客席は後方にせり上がっているのでこれぐらいの位置でも舞台がかなり間近に感じられる。それにこの日、自分の席のちょうど斜め前の席に、今日の作品の原作者でもあり、『リチャード三世』の新訳を出したばかりの河合祥一郎氏が座っていた。

『法螺侍』、『まちがいの狂言』に続くシェイクスピアの狂言仕立て。

前二作は喜劇の狂言仕立てだが、『リチャード三世』は歴史劇、それも悲劇の狂言化であるが、リチャード三世という人物の喜劇性を表出するのにぴったりという感じがした。

リチャード三世といえば悪逆非道の人物をすぐに想像するのがまず一般的なイメージだと思うが、どこか憎めないところもある。

演劇集団円上演の『リチャード三世』(2003年7月、平光琢也演出)では、金田明夫がそれまでのイメージを一新するような陽気で喜劇的なリチャード三世を演じたが、今回のそれは同じ喜劇性でも質的に異なる気がした。それは一つには金田明夫のリチャード三世が肉体的にはほとんどその異常性を強調していなかったのに対し、野村萬斎が演じる悪三郎(=リチャード三世)が肉体の異常性を強調していることにも起因しているのだろう。

舞台は、狂言を演じる能舞台同様に三方を観客席が囲むような張り出し舞台で、グローブ座の舞台と同じ親近感を感じさせる。

舞台中央には、リチャード三世を暗示するような面がぽつねんと転がっている。

開場から開演までの間、せみの鳴き声が続く。そのせみの鳴き声がひとしお強くなって、観客席後方から白い日傘に真っ白な衣裳で、一人の婦人(白石加代子)が舞台の方へと歩みを進めていく。そして面を拾い上げ、おもむろにつぶやく芭蕉の句、「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」・・・・。

そして、舞台は忽然と赤薔薇一族と白薔薇一族との合戦の場と化す。

時代は日本の戦国時代に置き換えられているようでもあるが、登場人物がそのまま「王妃」であったり、「市長」であったり、「市民」であったりして、必ずしも整合性は図られていないのだが、それはまあたいしたことではない。

このタイトルですぐ思い浮かんだのが、司馬遼太郎の『国盗物語』。時代的にも『国盗人』と重なる。『リチャード三世』のバッキンガム公に相当する悪三郎の腹心久秀(石田幸雄)は、主(将軍足利義輝)殺しの松永久秀をすぐに思い出させる。その関係で見れば、悪三郎は織田信長のようでもある。

悪三郎には影法師がついている。そして彼の命令を受けて動き回る人物は、狂言の太郎冠者。

白石加代子が王妃(エリザベス)、杏(アン王女)、政子(マーガレット)、皇太后(ヨーク公夫人)の四役を演じる、その演じ分けが見ものである。文学座の今井朋彦が善二郎(クラレンス公)、右大臣(スタンリー卿)、理智門(リッチモンド)、青年座の山野史人が白薔薇一族の王一郎(エドワード四世)、市長など、それぞれ複数の人物を演じる。

上演時間は途中20分の休憩を挟んで2時間50分。

 

(作/河合祥一郎、演出/野村萬斎、美術/松井るみ、7月11日(水)世田谷パブリックシアターにて観劇)

 

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