観劇日記 あーでんの森散歩道 高木登
 
  新国立劇場公演、ジョン・ケアード演出の『夏の夜の夢』     No.2007-013

 新国立劇場の芸術監督としての栗山民也にとって、最後となる中劇場での公演。
 当初この公演は、江守徹と麻美れい主演で予定されていたが、4月になって江守徹の健康状態を理由に、村井国夫との交代の知らせが出た。江守徹の降板は多少残念であったが、村井国夫は今年3月に、新国立劇場・小劇場での『コペンハーゲン』の再演でボーア博士の役で出演しており、その初演では江守徹がボーアの役をしているというのも何かの縁であろう。
 RSCの名誉アソーシエイト・デイレクターであるジョン・ケアードの演出も楽しみであったが、麻美れいのスケールの大きな演技も期待のひとつであった。
 村井国夫はアテネの公爵シーシウスと妖精の王オーベロン。オーベロンではちょっとコミカルな面を出す。
 麻美れいはアマゾンの女王でシーシウスの婚約者ヒポリタと、妖精の女王テイターニア。シーシウスに力で征服されたヒポリタは、その反抗的態度をハーミアへの同情で示す。
 アテネの恋人たちではヘレナを演じる小山萌子がパワフルな所作と台詞で力演。
 妖精たちの住む森は、螺旋階段の交錯する無機質的なメカニックな舞台装置。美術は、スー・ブレイン。
 ジョン・ケアードの演出は、台詞のカットがほとんどないだけでなく、細かいところにも非常に気を使っている。
 イジーアスが娘のハーミアの結婚問題で公爵のシーシウスにライサンダーを訴え出ている場面では、ヘレナがその場の成り行きを心配して二階の窓からちらりと覗く姿が見えるところなど、面白い演出だと思った。
 ジョン・ケアードが細かいところに気を配っているというのは、実はプログラムに掲載されている翻訳者の松岡和子とジョン・ケアードの対談で知るところなのだが、その一つにアテネの職人たちの名前の問題がある。
 大工のピーター・クインス、機屋のニック・ボトム、ふいご直しのフランシス・フルート、鋳掛屋のトム・スナウト、仕立屋のロビン・スターヴリング、彼らはみなファーストネイムをもっているが、「ピラマスとシスビー」の芝居の中でライオンの役をやる指物師のスナッグだけがファーストネイムで呼ばれることがない。
 そんなことは考えてもいなかったのだが、これはなぜ?それは何か意味があるのだろうか?スナッグが劇中劇で演じるライオンの姿で、宮廷の観客席まで飛び出していって暴れる演出をしているのはその辺に含むところがあるのだろうか? 興味ある問題であった。
 それから妖精の女王テイターニアに仕える妖精たち、豆の花、蜘蛛の糸、蛾の精、カラシの種はロバになったボトムに挨拶をし、それぞれ名前を尋ねられて自己紹介するが、蛾の精だけはなぜか無視されている。
 ボトムが妖精たちに用事を頼む場面でも、蛾の精だけが何も頼まれない。それで蛾の精は拗ねた素振りを示し、テイターニアの裾を引っ張って気を引くが一向に気づいてもらえない、という細かい演出をしている。
 このように細部にかなりこだわりを見せた演出であるが、全体としては冗漫な感じがする舞台であった。
 妖精たちの踊りなど、どちらかというとミュージカルに仕立てた方がいいような演出の手法。
 アテネの職人たちも個別的にはボトムの吉村直、クインスの青山達三など面白みがあるのだが、劇中劇なども少し盛り上がりにかけていた。
 ロバの姿になったボトムに恋をするテイターニアもボトムと同じようにロバの頭をつけて一緒になって戯れるのだが、ボトムに対する求愛が淡白な感じ。
 先に見たITCLの『夏の夜の夢』のシンプルな切れのよさとスピード感に比較すると、舞台装置が派手な割には物足りなさを感じた。
 上演時間は途中20分の休憩時間を入れて3時間10分。

 

翻訳/松岡和子、演出/ジョン・ケアード
6月10日(日)13時開演、新国立劇場・中劇場
チケット:(S席・会員割引)5670円、座席:1階14列21番

 

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