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  DRAW企画第3回作品『ヴェニスの商人』      No. 2007-001
 

今年の1月はめずらしくシェイクスピア劇の観劇予定が入っていない。そんなおり、昨年末にYSG(横浜シェイクスピア・グループ)の瀬沼さんからメールでDRAW企画の『ヴェニスの商人』の案内をいただいた。これもめずらしくほかの観劇予定と重なっていなかったので、早速申し込みをさせてもらった。

当日はあいにくの雨。昨年末の関東学院大学の『ヴェニスの商人』の観劇のときもそうであったが、横浜に出かけるときはいつも雨にたたられているようだ。しかし天気とは裏腹に、DRAW企画参加のあとは、晴れ晴れとした満足な気持ちで帰ることができた。

出演者(朗読者)8人とスタッフ関係者以外の参加者は、‘シェイクスピア森番’の関場先生と、「シェイクスピアかるた」の製作者である吉見あや子さん、長島さんという女性の方、そして昨年末の関東学院大学公演『ヴェニスの商人』に出演された学生さんが3名という、こじんまりとした集まりで和やかな雰囲気であった。

スケジュールにそって、最初はメンバーによる『ヴェニスの商人』4幕1場(法廷の場面)のドマテイック・リーデイングで始められた。瀬沼さんがシャイロックを悲劇的人物として最初に演じ(朗読というよりもう演技といってもよい立ち読みであった)、二度目に喜劇的人物として演じるという趣向。最初は3通りのシャイロックを演じるつもりであったということであるが、ポーシャ役の交代メンバーとして考えていた池上由紀子さんの準備が間に合わないということで断念されたことが、後のアフタートークで裏話として打ち明けられた。これは二重の意味で残念なことであった。瀬沼さんのもう一つのシャイロックがどういうものになるのかという楽しみと、池上さんのファンの一人として、彼女のポーシャも是非聞いてみたかったことの心残りである。

二つのタイプで演じられたシャイロックの朗読劇を見ていて興味深かったのは、シャイロックの人物像の変化で周りの人物の台詞の調子まで変わってくるということであった。もちろん意識的にそうしているところもあるのだが、瀬沼さんの変化に引きずられるようにして変わっていたのが、ポーシャ役。最初の悲劇的シャイロックでは小嶋しのぶさんがポーシャをやり、後の喜劇的シャイロックでは柴田惠子さんがやられた。その柴田さんの朗読を聞いていて、途中から随分のっている、というか「のせらた」状態になっているのを感じた。シャイロックへの感情移入が乗り移っていたようであった。これもアフタートークで柴田さんの発言でよりはっきりしたことだが、瀬沼さんの喜劇的人物像のシャイロックに対して「いやなやつ」という憎しみの気持ちが高まってきたというなせる技であった。これぞまさしく体感としての台詞!!

柴田さんの発言で自分がこれまで抱いていた一つの疑問として、ポーシャは果たしてアントーニオの肉を切り取るときに一滴の血も流してはならないということを事前に考えに入れていたかどうかということである。もちろんどちらの方でも演出することは可能だけれども、今回の柴田さんの発言では、僕が以前から考えていたことに答えてくれるものがあった。このこともライブならではの収穫であった。

アフタートークでの参加者の声として、『ヴェニスの商人』(のシャイロック)はどのように演出されても必ず批判を呼ぶ作品であるということを関場先生が指摘された。

またイギリスに3ヶ月滞在されてシェイクスピア劇をいろいろ見てこられた吉見さんからは「重過ぎる感じがする」、「イギリスではもっと軽い調子で演じられている」という感想が述べられた。

シャイロックとユダヤ人問題という宗教的な問題もからめて、一方に偏れば一方から非難が出るという難しさをかかえていることが、軽くする以外にないという側面もあるかもしれないが、シェイクスピアの原点に帰れば、実際もっと軽い喜劇である(べき)かもしれない。ただこの「法廷の場面」だけを切り出して演じる場合はどうしても重くならざるを得ないということもあるのかもしれない。

アフタートークの後半では、関場先生から上演史を通じての『ヴェニスの商人』の概説があり、これもまた非常に勉強になった。

最後のワークショップを通して論議されたことに非常に興味の尽きない話題があった。

4幕1場の一部を、悲劇的シャロックと喜劇的シャロックの相手をするポーシャ役をそれぞれ入れ替えての試みで、小嶋さんの感想が述べられたがやはり悲劇的シャイロックとはまったく違う感情を抱いたという。

関東学院大学での『ヴェニスの商人』で、グラシアーノらに足蹴にされ倒されるのをアントーニオが「キリスト教徒になったのだから」(He is a Christian)といって助け起こそうとした演出についての意見、感想が非常に面白かっただけでなく、演ずる立場の人の感情移入というのは凄いものがあるのだとあらためて感じ入った。

この日録画のスタッフとして参加されていた関東学院大学出身で、やはり同大学の公演でシャイロックを演じたことがあるというタルカワさんは、シャイロックがアントーニオから助け起こされることは「屈辱以外のなにものでもない」という意見を出された。もう一つの見方という点で「目から鱗」であった。僕はそのとき演出者の瀬沼さんの「優しさ」を思ったのだが、立場を変えればまさにタルカワさんの言われるとおりである。このことは読んでいてもそうなのだが、アントーニオが勝手にシャイロックの宗教を変えさせることの理不尽さについて、キリスト教徒への腹立たしさというか、独善性に快い気持ちがしない。僕はこの独善性を少し漫画化して「ブッシュ(大統領)」だと揶揄したのだが、キリスト教徒の正義という考え方の独善性に疑問を感じざるを得ないところを、タルカワさんはクリスチャンでありながらも鋭く指摘されていた。タルカワさんは自分だったら、アントーニオの手は受け入れられないと言っていたが、奇しくもちょうどその折にやってきた、昨年末の『ヴェニスの商人』でシャイロックを演じたサクライ君が、「自分もアントーニオの気持ちを受け入れず、手を払いのける演技をした」と語った。

このあたりも関場先生が指摘されたように、どのように演出しても(あるいは演じても)『ヴェニスの商人』は批判を免れないというよい一例かもしれない。

ポーシャの「慈悲の雨」(the quality of mercy)についても、キリスト教徒の独善でしかなく、シャイロックからすれば何をたわけたことを言っているのかという感じでしかないという同じくタルカワさんの意見にも同調できるだけでなく、(シャイロックの演じた立場から)ポーシャという人物はいやなやつ、という意見にも同感であった。

この最後になっての意見交換が一番印象的であっただけでなく、参加していて非常によかったと思った。

最後になったが、音楽・音響を担当された福島大地さんのシェイクスピアに対する「読み」はユニークなだけでなく、解釈についても鋭い指摘があった。福島さんの音楽の選曲の苦労話もさることながら、その音楽によって台詞に影響されたことを瀬沼さんが告白していたが、演ずるものの台詞にまで影響してくるというのを目の当たりに経験できたのもライブならではのものだった。

(1月6日(土)13:00−17:00、横浜・馬車道、大津ギャラリーにて

 

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