〜 「男性上位の世界」を覆す試みを女優のみで演じる 〜
江戸馨の「上演に寄せる口上」からすると、シェイクスピアの『夏の夜の夢』は男性上位の世界であり、高貴な魂の存在が欠けている、そして混乱の原因が人間の心ではなく、妖精の介入で生じることで人間性のドラマが欠如しているがゆえに、長いこと不満を感じられていたということである。
今回、『真夏の夜の夢』は女優のみの上演であり、男性上位の世界を覆す試みがこの劇を女優のみで演じるという方法をたらせたのであろうかと、興味を感じるところである。
「高貴な生まれであるシーシウスも平気で女性を侮辱し続ける男性として登場する」という解釈にいたっては、このドラマの演出において、ヒポリタがシーシウスに革ひもでつながれた状態で登場することで表象されている。
彼女がこの革ひもの束縛から解放されるのは婚礼の日まで待たねばならない。
全員が女優で演じるということが一つの要因であるかも知れないが、アテネの貴族や職人たちの男性は半仮面をつけて登場する。
シーシウスを演じる牧野くみこは妖精の王オーベロンも演じるが、オーベロンの姿の時には半仮面をつけずメイクのみである。
例外がもう一つ、フィロストレイトも仮面なしの素顔である。そのフィロストレイト役は妖精パックも演じる前田真理。そのためもあってか、フィロストレイトがボトムたちの「ピラマスとシスビー」の劇の稽古の有様をシーシウスに説明するとき、パックと二重写しに感じられた。
江戸馨の『真夏の夜の夢』の翻訳は出演する俳優たちのあてがきになっているのが感じられた。
一番はっきりしているのがハーミア。登場人物の役のなかでハーミアを演じる氏家綾子は、長身の牧野くみこと並んで最も背が高い。それに対して、のっぽのメイポールと呼ばれるヘレナ役の釈種サヤカはむしろ背が低い方である。
ライサンダーとデミートリアスとの恋の三角関係のもつれから、親友同士であったはずのハーミアとヘレンは激しい口喧嘩の応酬となるが、そのなかでヘレナがハーミアに対して言う台詞が、原作では「背が低い」であり、この台詞を原作通りに言わせるとちぐはぐな印象を与えるのは必定である。だから、ヘレナがハーミアに対して言う台詞は「クモのように長い手をしている」と言い換えている。
原作通りにしようと思えば、二人の役柄を入れ替えれば済むことであるが、あえて入れ替えているのは何か意図があってのことかと思われたが、そこに必然性を感じないので、遊び心とでも解しておこう。
この劇を観終わって感じたことは、江戸馨がこの演出において口上書きに記した、シェイクスピアの『夏の夜の夢』に対する不満が解消できたのであろうか、そして自分で納得できたのであろうか、ということであった。
パックのエピローグの台詞ではないが、半分以上はうたた寝に襲われてしまったのは、ドラマの起伏が緩慢な生であったような気がする。
翻訳・演出・製作総指揮/江戸馨、作曲・演奏/佐藤圭一
7月1日(土)14時開演、浅草橋・アドリブ劇場、チケット:3700円、座席:B列7番
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