これまでみてきたどの舞台よりも青年劇場による『尺には尺を』は、公爵(葛西和雄)の権謀作術の一人芝居という感じがして、公爵に対するマイナスのイメージ、否定的気持を強く感じた。
公爵の突然の旅立ちの目的は明確である。19年間自分がなした治世のゆるんだ社会の秩序を、謹厳実直なアンジェロ(清原達之)に公爵代理の権力を与え、厳格に法令の適用することを押し付け、自分はその圧政の批判、非難から逃れようとする。しかも公爵は権力を握った人間の心がどのように変わるかをも見ようとする。
アンジェロは公爵の敷いたレールに乗って行動するのみで、この舞台での主体的存在としての影が薄い。
放埓な男ルーシオ(北直樹)が口にする、公爵や公爵が変装した修道士に対する陰口こそは、公爵の欺瞞をむしろ言い当てているといえる。
青年劇場によるこのシェイクスピア劇は、僕にとって全体的にシェイクスピア劇としての魅力に乏しく、深みのない、平板な印象しか残らなかった。それは演じられた登場人物に対する魅力の欠如でもあった。
最初に疑問を感じたのは、冒頭、公爵がその権力の委任についてエスカラス(島田静仁)に質問する場面で、公爵は立っているのにエスカラスは椅子に座ったままで聞いている。これは不自然な気がしてならなかった。
最後の場面では、公爵がイザベラ(大月ひろ美)の手を求めて求婚する。イザベラは兄の無事を知って感極まって公爵の手をとるだけなのだが、イザベラと公爵の意識のずれが無神経な気持にさせた。
実際、公爵がイザベラの手をとって、「私の妻になるといってくれ」と言ったとき、観客席から笑いの声が起こった。観客のこの笑いは微妙な意味を感じる。僕にとってそれは失笑以外の何ものでもないのだが、単におかしくて笑ったという観客も多いかもしれない。
訳/小田島雄志、演出/高瀬久男、美術/伊藤雅子
5月26日(土)14時開演、紀伊国屋サザンシアター、チケット:4935円、座席:7列18番
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