観劇日記 あーでんの森散歩道 高木登
 
  彩の国シェイクスピア・シリーズ 『間違いの喜劇』      No.2006-003
 

一昨年の『お気に召すまま』に続く、このシリーズ第2弾の男優のみによるシェイクスピア劇。

チケットの座席番号がS席でもO列18番ということで、かなり後部席で内心がっかりしていたのだが、思っていた以上に舞台が近くに見えたので一安心した。もう一つ見る前から気になっていたことは、アンテイフォラスとドローミオの二組の双子の兄弟をそれぞれ一人二役というキャステイング。舞台では双子だからといって必ずしも似た人物にする必要はなく、いかにそれらしく感じさせるかが決め所で、それを同一人物が演じるというのは安易な手立てに思えてならないので、僕にとっては舞台で余り使って欲しい手法ではなかった。

しかし、舞台が始まるとそんな懸念も吹っ飛んでしまった。蜷川幸雄の舞台ではいつも最初の3分が勝負で、そこで観客は見事に引き込まれていく。その手法は特に目新しいわけでもないが、開演と同時に出演者全員が観客席の後部から鳴り物入りで登場してくる。中近東の港町の喧騒を感じさせる雑踏の中。舞台の背景はガラス張りで、それに映る観客が群集の様態を増幅させ、観客自らを客体化させる。

シラクサの商人イジーオンが禁を犯して敵対関係にあるエフェソスに入国し、法によって裁きを受ける。公爵がシラクサの者がエフェサスの港に現れたらその身は死刑と告げると、興奮した群集はイジーオンに群がって暴力を振るう。その場面の演出がとても新鮮に感じた。イジーオンがエフェソスに入国するに至った物語は悲劇的であり、この物語が喜劇であるといことを知らなければ、これから始まる物語は悲劇と思うかもしれない。それほど吉田鋼太郎が演じるイジーオンは抒情に流されない叙事的語りをする。

一人二役の双子の兄弟に、アンテイフォラスに小栗旬、ドローミオを高橋洋。この舞台の約束事として、エフェソスのアンテイフォラス兄は赤いマントをはおり、シラクサのアンテイフォラス弟は白い(クリーム色)のマントを身につけ、一方ドローミオ兄弟は、兄が赤い三角帽子を被り、弟が白い三角帽子を被るということで区別されている。またエフェソスのドローミオはズボンをたえずずり落とし、シラクサのドローミオは二枚の笏の様な板切れを持っているのも特徴にしている。ドローミオは継ぎはぎの衣裳を身につけ、ドタ靴姿でいかにも道化役、高橋洋がうまい。

ドローミオ兄弟が同時に鉢合わせする場面は最初、お互いが門の内外で顔合わせはないが、兄弟の台詞を腹話術を使って区別する。最後の兄弟再会の場面では、二人二組、4人を登場させるが、ここでも台詞は小栗旬と高橋洋が腹話術で兄弟二役の声を務める。二人の腹話術のうまさに感心。

エイドリアーナの内田滋は、アンテイフォラスへの嫉妬心、がみがみ女の感じをよく出していたし、ルシアーナの月川悠貴は実際の女性よりも女らしくクールな魅力を感じさせた。

エフェソスとシラクサのアンテイフォラス、ドローミオ兄弟の取り違いによるどたばたは、喜劇というよりファルスとも言うべきものだが、始まりのイジーオンが語る悲劇性といい、終わりの一族再会の感動は、単なる喜劇としてくくれないものを感じさせる。イジーオンとその妻エミリアの再会の場面は思わず目頭が熱くなってきた。

全員が修道院の中に入って行き、ドローミオ兄弟が最後まで残って、そして二人が揃って扉の向こうに去っていく場面は、これまでになく孤独と寂寥感を感じさせた。

が、舞台はこれで終わらず、アンテイフォラス兄弟、ドローミオ兄弟、そしてイジーオンとエミリアの夫婦がそろって出てきて、静かに踊る。互いに口を合わせ、お互いの口には赤い紐が含まれ、二人が離れていくにつれ、赤い紐はどんどんと伸びていく。これは何なんだ?と疑った。意味不明の蛇足のように感じた。何かを表象しているのか、僕には最後まで疑問符だった。

金細工師アンジェロにたかお鷹、商人バルサザーに瑳川哲朗のベテランを配した贅沢なキャステイング。

休憩なしの2時間の上演時間で、テンポも小気味よく、全体的には素晴らしい舞台であったと思う。

(訳/松岡和子、演出/蜷川幸雄、美術/中越司、2月18日、彩の国さいたま芸術劇場にて観劇)

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