観劇日記 あーでんの森散歩道 高木登
 
  りゅうとぴあ公演 『マクベス』      No.2006-002
 

かすかに遠雷の音、そして静寂の中に、糸車を回すような音が聞こえてくるのが印象的である。

能舞台の橋掛かりから、からくり人形の動きをした童女が3人進み出てくる。それが3人の魔女。

魔女はマクベスとバンクオーの前に現れるだけでなく、マクベス夫人が夫マクベスの手紙を読む場面にも、別の一組の魔女が付き従って登場し、都合6人の魔女となる。その魔女たちは魔女の台詞だけでなく、その時々の場面における登場人物の役割を担って台詞を語る、一種のコロスの役割を演じる。

からくり人形の童女姿をした魔女たちは、前半部では赤い衣裳を着ており、後半部では純白の衣裳に変わっている。思うにこの衣裳の変転は、前半部での赤色が、マクベスが国王の位にまで就きその絶頂期を迎えるまでの象徴で、後半部はその絶頂期から転げ落ちていく転落の場面、死出の旅路といえる。後半部の魔女たちの白い衣裳は、この演出のモチーフとなっている地獄の道行きを表象しているかのようである。そして魔女たちが歌うマクベスの不安をわらべ歌にしたさそりの歌が情念を掻き立てる。

『マクベス』の舞台の最後は、それぞれの登場人物が唐傘をさした6人の魔女たちに、ひとりひとり手を引かれて舞台中央から橋掛かりを通って消えていく。そして最後に取り残されたマクベスとマクベス夫人がふたり手を取り合って、道行きの様態で同じようにして去っていく。

今回のりゅうとぴあの舞台では、全体を通してこのからくり人形の所作をした魔女たちが非常に心に深く残った。

演出家の栗田芳宏と、マクベスの市川右近、マクベス夫人の市川笑也は、市川猿之助の門下生として同じ釜の飯を食った仲であり、ヘカテ役の特別出演の藤間紫は、栗田のお師匠さんでもあった。いわば、仲間内の集いともいえる。シェイクスピアと歌舞伎の類似性に情熱を注ぐ栗田の演出ではあるが、今回の『マクベス』を見る限りにおいては、台詞の面で市川右近のマクベスには不満が残った。台詞が流れていて、聞き取りにくい言葉があった。

市川笑也のマクベス夫人も台詞と所作に一体感を感じないうらみがあった。特に夢遊病状態で手を擦り合わせて洗う場面などは、思っていた程の迫真性を感じさせなかったのが残念。シェイクスピアへの挑戦が初めてだからというより、シェイクスピアの台詞が歌舞伎の所作に昇華されていないように感じた。栗田が強調するシェイクスピアの言葉によるイマジネーションが湧いてくる力が不足しているように思う。

台詞力という点では、バンクオー役の谷田歩、マルカムの中井出健、それにロスの星和利ら劇団AUNの俳優たちの方が安定感を感じさせたように思う。

ダンカン、門番、そしてマクベス夫人の医師の3役をこなす文学座の菅生隆之も、台詞を含めて存在感を感じさせるうまさであった。死んで仰向けの姿で寝ているダンカンの役柄から、そのままの姿形で門番として起き上がる役代わりは、向きを変えればそれだけで役が変わるという能舞台の約束事を知らないでも面白みがあるのではないかと思う。これはむしろ演出の上手さとでもいえようか。前回公演の『冬物語』では栗田自身がアンテイゴナスから羊飼いに早変わりする演技をしているが、それを思い出させる趣向であった。

チケット代金がSS席で8500円と、この手の劇団としては高額でもあり、それなりの役者をそろえた期待感を満たして欲しいという欲求から少し辛口の感想となったが、シェイクスピアへの試みとしては満足すべきものがあった。

(訳/松岡和子、演出・構成/栗田芳宏、2月5日(土)、東中野・梅若能楽学院会館にて観劇)


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