観劇日記 あーでんの森散歩道 高木登2005
 
  アカデミック・シェイクスピア・カンパニー(ASC)第31回公演
     "4人の俳優で四大悲劇を"と"人間チーム"による 『マクベス』  
No. 2005-009

● ASC創立10周年記念を祝して
まずはアカデミック・シェイクスピア・カンパニー(ASC)の10周年記念を祝したい。
ASCの第1回本公演は、1996年、パナソニック・グローブ座(当時)での『ジュリアス・シーザー』(10月19−20日)で、97年5月には第2回本公演として東京芸術劇場で『マクベス』、そして第3回公演は同年10月にパナソニック・グローブ座で『リア王』を上演している。
私はこの第3回公演からASCの上演を見続けている。
その時以来注目していますのが、劇団代表の彩乃木崇之のシェイクスピア作品に対する演出のコンセプトと、そのテーマ設定のユニークさである。
第3回『リア王』のメッセージとしては、ハムレットの「人間とは何か?」と対比して、リア王を「私は何者だ?」と提示していた。このときの舞台設定は、心理的ドラマとして「精神病院での自分探し」となっていたが、私が何よりも驚かされたのが劇場空間の使い方で、グローブ座の1階の観客席ほぼ全部を舞台にした大胆な演出であった。
第4回本公演は、98年4月、東京芸術劇場・小ホールでの『夏の夜の夢』で、このときは出演の俳優たちが小劇場を所狭しと、二階のギャラリーをも疾走する自由奔放な舞台であった。
99年6月の第5回公演も同じく東京芸術劇場・小ホールで、演目は『空騒ぎ』、那智ゆかりのベアトリスと、菊地一浩のベネデイックの二人の小気味よい台詞のテンポに酔いしれた。
私の印象に残っている作品は、この初期の頃の3作品である。
演出のテーマ設定のコンセプトとして惹かれたのが、2000年11月に銀座みゆき館劇場で上演された『リチャード三世』(第18回公演)で、"母性"をキーワードにして組み立てられた、「究極の悪 ÷ 母性 = リチャードの悲劇」という「解」に導く方程式に感服した。
本公演と並んで特筆すべき活動に、98年秋よりスタートしたシェイクスピア全作品の上演を、一人一人の俳優がそれぞれ1本のシェイクスピア作品を担当して、構成・台本・演出・主演の全てをこなすという'ONLY ONE シェイクスピア 37'がある。
これまで私が見てきたASCの舞台の印象としては、初期の舞台は解放感にあふれ、自由奔放さがあった。
この数年、ASCは銀座のみゆき館劇場を主体に活動しているが、小劇場という枠の中で、作品のテーマ設定、演出のコンセプトがストイックで禁欲的になってきたような気がするが、時には初期の大胆な自由奔放さが懐かしく思われる。
ASCは本公演にあたって毎回オーデション方式で出演者を公募しているので、常に新鮮な期待感を覚える。

● 4人の俳優による四大悲劇のシリーズの掉尾を飾る『マクベス』 
「4人の俳優で四大悲劇チーム」と「人間関係チーム」の両方を観た。
2002年秋の『オセロー』から始まって、03年秋『ハムレット』、04年秋『リア王』と、「4人の俳優で四大悲劇チーム」と「人間関係チーム」の2バージョンで上演されてきたシリーズも、今回の『マクベス』でその掉尾を飾ることとなった。
私はこれまでこのシリーズは、「人間関係チーム」だけしか見ておらず、今回初めて2バージョンを見て、これまで「4人の俳優チーム」を見逃していたことが惜しまれた。
今回のテーマのコンセプトとして、「固有名詞を持たない二人の女性たち(マクベス夫人とマクダフ夫人)の愛」が打ち出されている。
舞台中央には白い羽毛が円形状に敷きつめられ、舞台装置と衣裳は明るさを感じさせる白で統一されて、愛の世界を予兆させる。舞台上の白い羽毛はいろいろな場面で象徴的に使用されるが、なかでもマクベス夫人が夢遊状態で手を擦り合わせて洗う場面で効果的な役割をする。
「4人の俳優チーム」では、その俳優の中心人物を演じる時には素顔で、その他の人物を演じるときには半仮面をつける。すなわち、4人の俳優は、マクベス(菊地一浩)、マクダフ(彩乃木崇之)、マクベス夫人/マクダフ夫人(那智ゆかり)、マルカム(野口真由子)を演じるときには素顔で通す。なかでも那智ゆかりの役の早変わりが見どころの一つであった。
私はASCの舞台がストイックな感じがすると述べたが、それは舞台の所作、動きに起因することが大きいのではないかと思う。一つ一つの所作が能のように緩慢な動きをする。もちろん、時に激しい動きを伴うこともあるが、全体的に緩慢な印象を受ける。しかし、それは緊張感を伴った緩慢さだといえる。そのために所作よりも台詞力が胸に強く響いてくる。
台詞力ということでは、今回「4人の俳優チーム」と「人間関係チーム」で、マクベスとマクダフを、菊地一浩と彩乃木崇之がそれぞれのチームで役を変えて演じたのも大いに楽しむことができた。どちらも甲乙付けがたい台詞力の魅力があった。
この舞台のコンセプトを表象する愛は、初めと終わりにあるように思われた。
舞台の始まりで、マクベスとマクダフが対蹠的な位置に立ち、「男だけ生むがいい、恐れを知らぬその気性からは、とうてい男しか生まれまい」とマクベスが独白すれば、マクダフは「やつには子供がないのだ。子供たちみんな、みんなだな?」と叫ぶ。ドラマはこの二人の台詞をプロローグにして、3人の魔女の出会いから普通通りの展開で始まる。
マクダフ夫妻には子供たちがおり、子供を通しての夫婦愛がある。
マクベス夫妻には子供がいないが、このドラマでは、マクベス夫人が水子を抱いて登場する場面が象徴的である。その水子は、魔女によってむなしく羽毛となって散ってしまう。
ドラマの終焉は、マクベスがマクダフに倒される場面で、女から生まれたものにはマクベスを殺せないという魔女の呪(まじな)いも、マクダフが帝王切開で生まれ出てきたことを高らかに告げると、マクベスは虚しく絶望する。そのマクベスに、死んだマクベス夫人がゆっくりと起き上がって近づいていき、手を差し伸べ、優しく抱擁する。マクベスはそこですべてを悟ったかのように、マクベス夫人から離れ、マクダフに剣を渡し、自ら命を投げ出す。
そのときマクベスは初めてマクベス夫人と心から結ばれあうことになったのだと感じた。
「4人の俳優チーム」も「人間関係チーム」もキャステイングの違いを別にすれば、構成はまったく一緒だといえるが、「4人の俳優チーム」の方が、その性格上、より内面的な描き方になっているようであった。そしてこの両方をみることで、テーマ性のコンセプトがよりはっきり感じられたような気がした。


訳/小田島雄志、演出/彩乃木崇之
「4人の俳優チーム」、11月19日(土)14時開演、銀座みゆき館劇場、チケット:3800円、座席:D列9番
「人間関係チーム」、11月20日(日)13時開演、銀座みゆき館劇場、チケット:3800円、座席:H列4番

 

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