観劇日記 あーでんの森散歩道 高木登2005
 
  ク・ナウカの夢幻能な 『オセロ』      No. 2005-008
 

 夢幻能、あるいは、複式夢幻能とは、いったい何か?

 今回のク・ナウカの『オセロ』を理解するためには、そこから始める必要がある。

 ありがたいことに、ク・ナウカが用意してくれている劇団の通信誌「美をメハニア」(第11号)には、能の用語解説に加えて、シェイクスピア原作の『オセロ』を謡曲台本に仕立てた平川祐弘のインタビュー記事も掲載されており、この複式夢幻能のことが詳しく解説されている。

複式夢幻能とは、世阿弥が完成させた能の形式で、前半と後半に分かれ、前半を前場、後半を後場といい、前場のシテ(主人公)を前シテ、後場のシテを後シテという。前シテと後シテは同一人物の亡霊であるが、前場では土地の人間に憑依して現れ、後場では生きていた頃の姿で、ワキ(脇役のことで、旅の僧のことが多い)の夢の中に現れる。この複式夢幻能を成立させる一番大切な条件は、生きている人と死んだ人との魂の会話だという。

さて。開演前にこれらの予備知識を頭に入れて、開演20分前に、いよいよ東京国立博物館の日本庭園の一角に仮設された舞台へと整理番号順に案内される。

 観客席は、階段状に設置され、ドーム状のテントに覆われている。舞台は香りが漂わんばかりの真新しい木材でしつらえられているが、上を覆うものは何もない。

 秋の虫の声が日本庭園の情緒を感じさせる一方、少し離れたところから聞こえてくるJR山手線の列車の音が現実感に引き戻す。しかし不思議なことに、舞台が進んでいくと、虫の声も、列車の音もまったく耳に入らなくなった。 

 夢幻能『オセロ』の前場では、ヴェネチュアからサイプラスにやって来た巡礼(ワキ)が登場し、かつてヴェネチュアが支配していたサイプラスが、今はトルコに占領されている有様を見て驚く。占領地に取り残されたヴェネチュアの女性は、今では身を落として娼婦となり、奴隷となっている。

 橋掛かりから、大きな甕を頭上にのせて4人のイタリア女性(ツレ)が登場してくる。巡礼は彼女らからサイプラスがトルコ軍に陥落したいきさつを聞く。そしてそのうちの一人は、デズデモーナが憑依した女であり、ムーアに殺された彼女の生前の恨みが語る。

 能の様式であるというより、むしろギリシア悲劇的を感じさせる。地謡の集団は、まさにコロスである。

 間狂言では、それまで地謡を務めていた者たちが仮面をつけて、小田島雄志訳を使って『オセロ』の数場面を演じる。

 トルコ軍によるサイプラスの危機に際して、公爵邸への緊急招集の場面。ブラバンショーが公爵に娘のデズデモーナを略奪したオセロの逮捕を要求するが、オセロはひるむことなく、正当な手段で彼女を自分のものにしたことを堂々と申し開きする。稚拙な表情の仮面が、次第に台詞と和合して違和感もなく感じられてくる。

 イアーゴが、ロダリーゴにキャシオとデズデモーナの仲が怪しいとたきつける場面では、それまで囃子方をしていた者が素の顔でロダリーゴを務める。ロダリーゴの演技は狂言の次郎冠者を思わせ、親しみを覚えた。

 見ごたえを感じたのは、仮面を用いた間狂言から、素顔を出しての狂言場面。イアーゴがオセロにデズデモーナの不義をほのめかして、オセロを嫉妬へと駆り立てる場面である。阿部一徳が演じるオセロには凄みがある。ムーアの嫉妬の情念の炎が燃えているような熱演であった。

 『オセロ』の夢幻界をさまよった感じの夜の一時を過ごした。

(演出/宮城聰、謡曲台本/平川裕弘、間狂言/小田島雄志訳ニヨル、東京国立博物館、日本庭園、
特設能舞台にて、11月4日夜観劇)

 

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