観劇日記 あーでんの森散歩道 高木登2005
 
  りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ 『冬物語』        No. 2005-007

 シェイクスピアを英国の古典として日本の古典に融合させる一つの手段、試みが、栗田芳宏のりゅーとぴあ能楽堂のシェイクスピアシリーズだろう。
 シェイクスピアには独特の台詞術があると思う。その独特の台詞術という様式に、日本の能の様式を用いて台詞にも一種の様式が備わる。
 栗田芳宏の演出には、コロスの役割が多くの場合挿入されるが、今回は4人の「言霊」がそれを担う。その「言霊」は、「時」の役割をも担っているが、場面の背景での「ゆらぎ」を表出する。
 僕は、栗田芳宏が演出する、一種独特のゆらめきのような所作を「ゆらぎ」と勝手に名づけているが、それは彼の演出に特有の特徴であるように思われる。
 「言霊」は、フットボール大の白色の球を両手にやさしく抱えている。それは内側から電球で照らし出されて、月のような神秘的光を感じさせるものである。「言霊」は、それを緩慢な所作で動かす。
 能の様式を用いているので、衣裳は当然のことながら能衣裳のようなものであるが、シェイクスピア劇としての違和感は不思議と感じさせない。
 舞台中央に、真っ白な、一斗缶大の円筒が置かれている。
 舞台は、シチリア王レオンテイーズの王子マミリアスが、母である王妃ハーマイオニに「冬物語」を話して聞かせる場面から始まる。
 終わりは、マミリアスと二役のパーデイタが、その「冬の夜話」を閉じるように、「言霊」の持つ白球を頭上に掲げ、満月のような様相を呈して非常に象徴的なイメージを喚起させる。
 そこでマミリアスとパーデイタの二役が重なり、パーデイタはマミリアスへと回帰する。そして、その内側の明かりの電球がふっと消えてあたり一面真っ暗となり、舞台が閉じる。それが始まりのときを思い出させて、再び冬の夜話が繰り返されるような錯覚を覚えさせ、物語の循環構造を感じさせるのは栗田演出には馴染みのもの。
 劇団AUNの谷田歩と中井出健が、同劇団で演じたこの作品をここでは役柄を入れ替わって、谷田がシチリア王のレオンテイーズを、中井出がボヘミア王ポリクシニーズを演じた。谷田歩の演技にも凄みが出てきた。
 アンテイゴナスと老羊飼いを演出の栗田芳宏が演じる。アンテイゴナスが熊に襲われ命を落とし、覆い布の中で衣裳を脱ぎ替え、老羊飼いに変身する早替りはちょっとした見ものであった。それにその声の使い分けも見事というほかはない。
 甦る石像、ハーマイオニ(山賀晴代)は白い衣裳でまぶしいばかりの神々しさに輝いていた。
限られた出演者のため、僕の楽しみな場面である羊飼いの息子(道化)やごろつきオートリカスなどの登場がないのは少し物足りない気がしたが、それはないものねだりというものかもしれない。

 

翻訳/松岡和子、構成・演出/栗田芳宏、衣装/時広真吾
9月19日(月)13時開演、、表参道・銕仙会能楽研究所、チケット:4000円、全席自由席

 

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