観劇日記 あーでんの森散歩道 高木登2005
 
 『天保十二年のシェイクスピア』      No.2005-005
 

 井上ひさしの『天保十二年のシェイクスピア』はかねてから見たいと願っていた作品で、今回初めて、それも蜷川幸雄演出で見ることができ、夢がやっと実現された。今回の上演に当たっては井上ひさしが自ら台本直しをやっていて、上演時間も途中休憩20分をはさんでの4時間の長さに凝縮されている。

 チケット入手ができず、劇団AUNの林佳世子さんにお願いして、平日のマチネでやっと見ることができた。当日は、作家の瀬戸内寂聴さんが特別招待で来られていた。

 舞台は、開演前はロンドンのグローブ座を模した拵えで、開演とともに隊長役の木場克己の「もしもシェイクスピアがいなかったら」の歌声に唱和しながら、百姓の群集が前面の柱を切り払い、二階のギャラリーの手すりを取り払っていく。褌一丁の姿で肥桶を担ぐ百姓がリアル感を高めた。蜷川幸雄の舞台では群集はコロスの役割を担うが、今回はそれが抱え百姓となっている。場面転換して、何もなくなった空間に、芝居の舞台がしつらえられる。

 冒頭の場面は、吉田剛太郎扮する鰤の十兵衛(ブリと十のテンの語呂合わせでブリテンとなり、シェイクスピアのリア王をもじっている)が三人の娘に自分の支配する宿場町の縄張りを譲るところから始まる。座敷中央には神棚が飾られているが、その神棚の中に円形の小さな鏡が仕掛けられていて、わずかながらその所作が映し出されているのが垣間見える。この鏡は、唐沢寿明が演じる佐渡の三世次(リチャード三世)が身の破滅を招く姿見の鏡に増幅される役割を持っているように思われた。

 シェイクスピアの全戯曲37作のテンコ盛りが、『リア王』を幕開きにして、『リチャード三世』で締めくくられるが、役割も台詞も、作品・人物を時に重複させて展開する。たとえば佐渡の三世次はリチャード三世とイアーゴ、尾瀬の幕兵衛はマクベスとオセロを重複したりするように。

 出演する俳優が一癖も二癖もあるような顔ぶれで、それが時にはシェイクスピア作品の登場人物の二役三役をこなし、それを見ているだけで楽しい。鰤の十兵衛の吉田剛太郎はその台詞を聞くだけでもうっとりするし、夏木マリのお里(『リア王』の次女リーガン)は、メイクだけでも見ていて面白かったし、清滝の老婆(『マクベス』の魔女)を演じる白石加代子もユニークなおかしみがあり、きじるしの王次(ハムレット)の藤原竜也のはちゃめちゃぶり演技は天才的とも言える気分の切り替えで、出演者それぞれに、これまでの舞台とは異なった持ち味を発揮していて、その面白さは数え上げればきりがない。

 今回は、この作品を見ることができたという夢がかなったことだけで満足だった。

(作/井上ひさし、演出/蜷川幸雄、美術/中越司、渋谷・シアターコクーンにて、
9月14日(水)マチネで観劇)

 

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