あーでんの森 散歩道 高木登2004
 
   シェイクスピア晩年の回顧の劇 『エリザベス・レックス』       No. 2004-023

 プログラムを買ってまず驚いたのは、作者ティモシー・フレンドリーが男性であったこと、そして作者がすでに72歳で亡くなっていたことであった。どういうわけか、ティモシーという名前を女性だと思い込んでいただけでなく、しかも30代ぐらいの若手の女流作家であると信じ込んでいた。
 ティモシー・フレンドリーはカナダのトロントの生まれで、18歳で役者の世界に入り、1963年には俳優業にピリオドを打ち、その後は執筆活動に専念し、テレビ・ラジオドラマの脚本や推理小説などを書き、1986年には『嘘をつく人々』で探偵クラブ作家賞(エドガー賞)を受賞し、ベストセラーになる。
 『エリザベス・レックス』は、2000年にカナダのストラットフォード・フェスティバルで初演され、2000年州総督賞の演劇賞を獲得した、ティモシーが亡くなる2年前、70歳の時に書かれた作品である。
 『エリザベス・レックス』を観てまず思い浮かべたのが『恋に落ちたシェイクスピア』だった。こちらは若きシェイクスピアで、『ロミオとジュリエット』を書いた時代であり、1601年を背景にした『エリザベス・レックス』より少なくとも5、6年は前の時代である。壮年シェイクスピアと熟年シェイクスピア。しかも、『エリザベス・レックス』は1616年、シェイクスピアが死の直前に回顧する物語という設定になっている。
 2つの作品に共通しているのは、シェイクスピアとエリザベスの登場である。
 『恋に落ちたシェイクスピア』では、エリザベス女王の登場はわずかしかないが、映画ではジュディ・ディンチの存在感が圧倒的であったのが印象的であった。それに対してこの『エリザベス・レックス』ではエリザベス女王を主人公として、麻美れいが終始強い存在感を浮き彫りにし、奥田瑛二のシェイクスピアは黒子的な存在である。
 物語は、1616年、シェイクスピアの死の間際、幼い頃を過ごしたストラットフォード・アポン・エイヴォンの納屋の舞台から始まる。そこでシェイクスピアは幼年期の思い出を回想し、1601年の運命の日を回想する。その回想から、舞台はウィンザー城の納屋へと転換する。時にエリザベス女王67歳、シェイクスピアは36歳である。
 1601年2月24日、聖灰水曜日の前夜。翌朝には、エリザベス女王のかつての寵臣エセックス伯ロバート・デヴローが処刑されることになっている。
 舞台は、シェイクスピアの宮内大臣一座が、『から騒ぎ』を女王の前で演じた役者たちが納屋に引き上げてくるところである。その夜、エセックス伯の処刑を前にして反乱の恐れありということで戒厳令が敷かれ、シェイクスピアの一座はウィンザーのその納屋で足止めを食う。そこへ、処刑執行の朝7時まで時間を過ごすために、女王がお忍びでやって来る。
 クローディオとベネディックとの二人の関係を、『から騒ぎ』の舞台でベアトリスを演じた女形役者のネッドとエセックス伯を重ね合わせ、女王は、シェイクスピアが女王の前で上演した『から騒ぎ』に意図的な作為を読む。
 折りしもシェイクスピアは次作『アントニーとクレオパトラ』を執筆中で、ネッドはその時まで生きていればクレオパトラを演じる筈であるが、梅毒に苦しんで彼の余命はわずか、それを演じる見込みはない。エリザベスはここでもアントニーとクレオパトラに、エセックスと自分の寓意を読み取る。
史実とフィクションを巧に織り交ぜながら物語は進行していく。
 男を演じなければならなかったエリザベス・レックス、すなわちエリザベス国王と、女を演じ続けたネッドが、舞台には登場しない二人の共通の愛人エセックス伯を軸にしての丁々発止のやりとりが続く。
 後半の舞台は緊張感が走ったが、前半の舞台は途中で眠気が襲った。期待値が大きかっただけにその落差が大きく、残念であった。

作/ティモシー・フレンドリー、翻訳・演出/青木陽治
12月11日(土)13時開演、ル・テアトル銀座、チケット:(S席)10500円、座席:21列21番

 

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