あーでんの森 散歩道 高木登2004
 
  日欧舞台芸術交流会10周年記念公演 『オセロ』  No. 2004-021
 

イアン・カラミトルの演出には、これまで見てきた作品に共通して一種独特のカラーを感じる。

今回の舞台『オセロ』でも全体的な雰囲気(カラー)は黒色であり、衣裳も禁欲的なモノトーンの黒色を主調にして、古武士あるいは忍者の衣装を感じさせる。全体の基調となっているカラーとは対照的に、オセロ(小山)力也)の衣装は明るい白をベースにした灰色のまだら模様のあるマントのような上着に、短パンと薄茶色のブーツ姿。顔の色もムーアをイメージさせて赤褐色にメイクしている。デズデモーナ(小川敦子)も、衣装も白いドレスで華やかであり、この二人の衣装と容貌が他者と強いコントラストを示す。このコントラスト作りも共通したものがある。

開演のパターンにもカラミトルの演出には共通項があるようだ。白い大きな折り紙の「だまし舟」が、ヴェニスの海を表現するようにして舞台一面に何艘も浮かべられている。開演と同時に、黒装束の一団が無言で踊りながら、ヴェニスの港の喧騒を表現して、荷を担いだり、散在する「だまし舟」を手にとりあげて頭上に掲げるようにしながら、散り去っていく。その中から、イヤゴー(立川三貴)とロダリーゴー(小川剛生)が残って、二人の会話が始まる。

この舞台で感じるのは、イヤゴーの存在感の突出である。異様なまでにその存在感が強調されているように思う。舞台は常にイヤゴーを軸にして展開される。この舞台の最後になってイヤゴーの突出感に対して思い至ったのは、イヤゴーはメフイストフェレスの役割を演じているのだということだった。とすれば、オセロはファウストである。イヤゴーに魂を奪われ、嫉妬の虜となっていくオセロは、イヤゴーに何を代償として、魂を投げ出してしまったのか?!

デズデモーナがオセロに手を払いのけられ、その時オセロに結婚前にもらったハンカチを落とす場面があるが、その場面でエミリアがそのハンカチを拾おうとすると、ハンカチに仕掛けのフックがつけられていて、まるで生き物のようにひとりでに動き出すように演出されているのは寓意的である。

このハンカチを使って、キャシオに不実の罪を着せようと企むイヤゴー。それを寓意してハンカチを玩んでいる黒子が登場。そのうねるような動きは嫉妬を表すヘビにも似ているが、その黒子はメフイストフェレスに付き従う悪魔でもある。その時舞台では、デズデモーナが同時進行でなくしたハンカチを探し回っている、その対照的効果。その黒子が悪魔である、といえるのは、このドラマの最後の象徴的な終結で明らかにされる。

無実のデズデモーナを不義の罪で殺し、それがすべてイヤゴーの仕組んだ罠であったことを知るオセロ。イヤゴーが逃げ出したのを全員で追って、一人残ったオセロは、己の高潔なるがゆえに招いた愚かな悲劇を嘆き、短剣で自害する。

イヤゴーは目隠しをされて、引き出されてくる。イヤゴーは地面に座らされ、首を前に出して、キャシオから今にも首を切り落とされようとするその瞬間、飛行機の爆音とともに、時間が凍結する。キャシオは刀を振り上げたまま、ヴェニスの貴族たちは空を見上げたままの状態でモーションがストップ。飛行眼鏡に黒い飛行服姿の黒子が近づいてきてイヤゴーの目隠しを取り、誘(いざな)う。その黒子は、役目を終えたメフイストフェレスを迎えに来た悪魔である、とその時僕は思った。

イヤゴーは言う。「何を言っても無駄だ。もうこれから俺は一切口をきかない」と言って、悪魔に誘われるようにして去っていく。

イヤゴーをこのようにメフイストフェレスに解してみると、カラミトルの異様なまでにイヤゴーを突出させた演出に納得がいくように感じるのは穿ち過ぎであろうか。

 

(訳/松岡和子、演出/イオン・カラミトル、11月22日、三百人劇場にて観劇)


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