あーでんの森 散歩道 高木登2004
 
  ASC 第29回公演 『リア王』      No. 2004-020
 

彩乃木崇之は方程式を立てるのが実に上手い。

シェイクスピアの劇を素材にして、問題提起の方程式を立て、それを自ら解いていく。

今回の『リア王』の方程式は、「リアはなぜ、気が狂うのか?!」という問題提起と、「父から子へ 愛を伝えられなかった 父親の悲劇」という答えを解いていく試みである。

ASCでは、2002年からシェイクスピアの四大悲劇を、"4人の俳優"で演じるチームと、"人間関係"チームという二組を同時上演するという意欲的な取り組みをしている。

今回その第3弾である『リア王』を、"人間関係"チームによる公演で見た。上演時間は90分強に凝縮され、舞台はシンボリックな構成となっている。

ASCが最近ではホーム・シアターのようにして常用している銀座みゆき館の舞台は、奥行きも幅も小さく、せいぜい6,7メートル四方の大きさである。今回の舞台では、舞台一面白砂を敷きつめ、舞台中央奥には濃い灰色の2本の神木、あるいは神柱、それに榊を表したように楓の葉。清楚で静謐な舞台を象徴している。

シンボリックな舞台構成は、舞台装置だけでなく、全員の衣装にも表現される。リア王の白い装束を除いて、登場人物全員が黒装束。リア王とのコントラストがいやが上にも際立つ。このシンプルな対比はストイックな演出でいっそう強まる。

開演冒頭の場面では、リア王が3人の娘を前にして、神木を背にして、「人間、生まれてくるとき泣くのは」の台詞で始まり、3人の娘はコーラスとしてそれに唱和し、崩れ伏す。この冒頭のシーンはこの劇の最後にも繰り返されることで、その象徴的意味が強調される。

ケント伯とグロースター伯の挨拶の場面では、庶子のエドマンドだけでなく、嫡男のエドガーも同席して、グロースター伯の会話をたしなめるように、声をはさむ。このちょっとした工夫が新鮮な感覚を感じさせた。

嵐の場面でのリア王の狂気や、父親からの追っ手を逃れるエドガーの気違いトムの変装においても衣装はそのままで、台詞のみで表現され、視覚的な効果は抑制されている。

また、コーデリアの最後の場面も、リアは彼女を抱いて登場するでもなく、台詞だけである。観客は、リアを演じる菊地一浩の台詞力を体感することに集中させられる。この劇は、そこに集約されている、といってもいいだろう。

今回の上演ではちょっとした新しい試み、工夫があったが、リア王に追放されてなお、彼に仕えるべく変装して戻ってきたケント伯に道化が気づいてごまかす場面があり、これなどは遊びの効果があり、面白いと思った。

当日、子どものためのシェイクスピア代表の山崎清介や、間宮啓行などが来合わせていた。そのほかにも観客の多くが劇団関係者らしい人の様子であった。

開演前、ASC代表の彩乃木崇之氏から、わざわざ客席の僕のところまで挨拶に来られ、恐縮した。

 

(訳/小田島雄志、演出/彩乃木崇之、11月20日、銀座みゆき館にて観劇)


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