あーでんの森 散歩道 高木登2004
 
   劇団四季主催 『ヴェニスの商人』                 No. 2004-019

~ 彩色豊かなファンタジー ~

 彩色豊かなファンタジー。
 劇団四季による『ヴェニスの商人』の印象を一言で表現するとすれば、そのように言えるのではないだろうか。
 第一幕、「海の見えるヴエニスの広場」の開幕の場面では、ヴエニスの港の広場を人々が賑やかに行き交う。国際交易の中心地であるヴエニスには異国情緒が漂い、人々の様相もさまざまな衣装がそれを表象している。
 シャイロックが広場に現れ、仲間の商人と談笑している。何かが起こりそうな予兆を漂わせて。
 さて、彩色豊かなファンタジーと表現したが、それはここに登場する人物たちの衣装が華やかで色彩豊かであるということと、箱選びに見られるファンタジーの性格に由来する。
 特にその箱選びの場面では、アラゴン王やモロッコ王、そしてポーシャ自身を含めて人形劇のような人物造形で、ファンタジー的性格が強い。
 劇団四季の『ヴェニスの商人』といえば、日下武史のシャイロック、またはシャイロックといえば日下武史と言われるほど、日下武史のシャイロックの存在感が強いことで知られている。
 97年2月、当時のパナソニック・グローブ座で同じく四季によって上演されて以来、今回は7年ぶりの公演である。その時にはチケットの予約が取れず見ることができなかったので残念な思いをしたものだった。
 ということで、劇団四季の『ヴェニスの商人』はシャイロックを中心とした展開にどうしても焦点が絞られがちであるし、そのような期待で見られもする。ご多分に漏れず僕の期待度もそこにあった。もっとも期待が強すぎると、その分期待負けも出てくるのだが。
 シャイロックを中心にした見せ場と言えば、やはり何といっても人肉裁判の法廷の場面である。そこに比重を強くかけたからというわけでもないのであろうが、休憩20分を入れて2時間20分という上演時間の制限のためか台詞のカットがかなりあり、その分重層性の深みが喪失している気がした。
 たとえば、舞台に登場してこないポーシャの求婚者たちについて、ポーシャとネリッサが交わす人物評価の会話がまったく省略されている。
 ランスロットとその父親が出会って、ランスロットが目の見えない父親をからかって息子のランスロットは死んだと言う一連の会話もないので、二人の喜劇的役割、おかしみもなくなっている。
 また、ロレンゾーとジェシカの「きっとこんな夜だった」という会話も一部だけで大半がはしょられているだけでなく、ジェシカの「あたし、音楽を聴いて、楽しくなったことは一度もない」という台詞もない。
物語の連続性を維持するだけで、一連の場面はあっても肝心の中身が乏しくなって、会話が表層的になってしまっている嫌いがあった。
 人物造形としては、栗原英雄が演じるバサーニオーは軽佻浮薄な若者という感じが強い。その分喜劇的でもあるのだが、それが例のポーシャへの求婚の箱選びで、彼が最も好みそうな黄金の箱や銀の箱を最初から否定して、鉛の箱を選ぶというのは必然性に乏しく感じる。彼が箱選びをしている間のポーシャとネリッサの心配そうな表情が愛くるしいだけに、ここは一工夫欲しいところだった。つまり、よくある手だが、バサーニオーが箱選びをしているときにそれと分かるようなわざとらしさを含んだサイン、つまり音楽などで合図を送ると言う仕掛けが。そのような演出は月並みであるが、今回のバサーニオーにはその俗受けが求められるように感じた。

 

訳/福田恆存、演出/浅利慶太
10月30日(土)13時開演、自由劇場(浜松町)、チケット:(S席)7500円、座席:5列6番

 

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