あーでんの森 散歩道 高木登2004
 
   シェイクスピア・シアター公演 『ヴェローナの二紳士』      No. 2004-009 
 

 シェイクスピア・シアターが非常に珍しい作品を上演してくれた。本国イギリスでもあまり上演される機会がなく、また上演史をみても、人気のある作品とは思えない。日本での上演は、1980年のシェイクスピア・シアターと、91年のグローブ座カンパニー(出口典雄演出)ぐらいで、75年に劇団四季がミュージカル『ヴェローナの恋人たち』として上演しているのがあるくらいである。(註1)

 『ヴェローナの二紳士』は、シェイクスピアの作品でもかなり初期の作品で、内容的にもかなり荒削りの感じがする喜劇だが、恋人の男装や追放など、そのプロットは後の喜劇、『十二夜』や『じゃじゃ馬馴らし』などに完成されていく。シェイクスピアとその劇団の成熟の過程が想像されるという点において興味深い。

 シェイクスピアの作品全体をみていくと、初期の英国史劇と喜劇、それに続くローマ史劇と悲劇、そして後期ロマンス劇への変遷には、シェイクスピアとシェイクスピアの劇団の変容と熟成を感じる。シェイクスピアはいわゆる座付脚本家であり、中心となる役者は固定化されている。シェイクスピアも年を取れば、仲間の役者たちも年をとり、役者としての熟練度、完成度も内面的に高まっていく。シェイクスピアの作品の変化は、時代の変化による外的必然性と、シェイクスピアとその劇団の内部的変容の必然的変化という気がする。

 出口典雄のシェイクスピア・シアターは、若い役者を育てながら、時に意欲的な挑戦をしていく。新陳代謝もかなりあり、期待していた役者もだんだんと退団していき、そのことが残念で淋しくもあったりする。しかし残った若手たちが確実に次を担ってきている。シェイクスピア・シアターの最近はそのことの繰り返しのようである。

これまで期待してきた中心的メンバーの一人、杉本政志が今回の公演の前には退団していたようだ(ようだ、というのは、シェイクスピア・シアターの通信でも会員の紹介や、消息が一切ふれられていないので、推測でしかない)。今回の公演で主人公役のヴェローナの二紳士、ヴァレンタインとプローテユースには、平澤智之と松本洋平が演じて、道化的存在のヴァレンタインの召使スピードに橋本真吾という新顔が活躍。新たな楽しみな人材。シェイクスピア・シアターの伝統的なともいえるような道化演技を、これからを期待させる活躍をみせてくれた。客演のミラノ大公を演じる松木良方が若手中心のシェイクスピア・シアターの舞台を引き締めてくれる。彼が出演するだけで、舞台に安定感を感じさせるのは、彼の人柄か。

ヴァレンタインの恋人役、ミラノ大公の娘シルヴィアに甲斐田裕子は、清純な感じを演じて目を楽しませてくれ、プローテユースに裏切られた恋人ジュリアの島小百合もけな気な男装をし、この二人で『十二夜』や『お気に召すまま』など演じるのを楽しみに期待。

私が観劇した日に、この劇の翻訳者である小田島雄志も観劇に来ていた。

(訳/小田島雄志、演出/出口典雄、6月27日(日)俳優座劇場にて観劇)

(註1)『シェイクスピア作品ガイド37』(成美堂出版)より


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