~ コリオレイナスとオフィーディアス、日替わりダブルキャスト ~
この観劇日記を書くのにひどく苦労を重ねた。いくら書き直してみてもこの劇の周辺をぐるぐる回るだけで一向に本題に入れない。
『コリオレイナス』はこれまで海外からの来日公演しか観たことがなかったので、国内の劇団での上演に大いに期待したのだが、結果的には海外の演出に比べてインパクトが弱かったというのが実感である。
劇団昴公演の『コリオレイナス』の感想を書くのにてこずった理由の一つに、これまで観てきた海外の公演と比べて平面的なイメージであったからだという思いに至った。
劇団昴にとって、シェイクスピア劇はこの劇団の財産の一つであると言えるだろう。『コリオレイナス』は、この劇団の前身である「劇団雲」の時代に上演して以来、実に33年ぶりの再演であるという。
劇を見て感じたのは、劇団の創設者でもある福田恆存の翻訳を忠実に演出しているのがはっきりとうかがえる。
それは、福田訳のリズムを尊重する姿勢を強く貫いているからであろう。が、そのことがかえってこの劇を平板にしているのではないかと感じた。
これまで観てきた海外からの来日公演の『コリオレイナス』では、それぞれに衝撃を感じてきた。
僕はかつてそれを色で表現したことがある。
それは上演舞台の実際の色調と、内面的なイメージの比喩的象徴でもあった。
初めて観たロベール・ルパージュ演出(93年)は「鮮烈な赤色」、次に観たスティーヴン・バーコフ演出・主演(97年)は「黒色」、そしてジョナサン・ケイト演出(2000年)は「灰色」のイメージであった。
その全体の基調ともいえるカラーによって『コリオレイナス』の難解性に柔軟性を持たせ、立体感を作り上げていたように思う。
この劇の難しさは、コリオレイナスが、傲慢で、自意識過剰という性格に加えて、極端ともいえるマザコンで、鼻持ちならない人物であり、ヒーローとしては魅力度に乏しいところにあるだろう。それゆえに、この劇が悲劇的喜劇とも言われる所以である。
劇団昴はコリオレイナスと敵役のヴォルサイの将軍タラス・オフィーディアスを、田中正彦と宮本充のダブルキャストにして、日替わりで交代に演じさせており、僕が観たのは宮本充のコリオレイナスである。
僕が観た日に、この劇団の座員である藤木孝も観に来ていたが、彼のコリオレイナスを見てみたいと思った。
藤木孝であればもっと違った、あくのあるコリオレイナスで立体感が出てきたのではないだろうか。
個人的には宮本充も田中正彦も好きな俳優の一人なので、キャスティングそのものに不満があるわけではないのだが、今回観た全体の感想が平板であったためにそう思っただけである。
劇団昴の『コリオレイナス』をこれまでのように色で表現すれば、「肌色」ということになろうか。つまり、民衆の色合いを強く感じさせる演出であったと思う。
その民衆の代表者である二人の護民官役を演じた山茂と北川勝博が強い印象を残した。
コリオレイナスの母親ヴォラムニア役の北村昌子は少し丸すぎると感じた。僕の描くイメージでは、もっととがった役柄だと思う。
『コリオレイナス』を今回初めて観たとしたら、この劇の印象はもっと違っていたかも知れない。言い換えれば、これまで観てきた海外からの来日公演の印象がそれほど強く残っている。
訳/福田恆存、演出/村田元史
6月20日(日)14時開演、三百人劇場、チケット:4900円、座席:4列12番
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