〜 死者の祭典『ハムレット』の甦り 〜
東京芸術劇場ミュージカル月間の出し物の一つとして、メジャーリーグの『ハムレット』が1年半ぶりに池袋のサンシャイン劇場から帰ってきた。もう忘れてしまっていたけれども、この演出は音楽劇でもあったのだ。
だからミュージカル月間の上演作品なのだということを、劇を見終わって改めて感じた。歌よりも、女優が演じるハムレット(安寿ミラ)とホレイショー(旺なつき)という印象の方が脳裏にこびりついていた。
この『ハムレット』は再演であるが、再演であって再演ではない、まったく新しいものに生まれ変わっている。
1年半の間に、成長し進化している。今回の出演者で前回と異なるのは、クローディアスが吉田鋼太郎から替わった山谷勝巳だけで、あとは役柄も出演者も全部一緒である。
しかし、大きく異なるのは、フォーティンブラスの登場である。フォーティンブラスには、振付師の舘形比呂一が演じている。前回登場のなかったこのフォーティンブラスの登場で、今回、オープニングとエンディングの構造が大きく変わっている。
前回のオープニングの場面を、僕の観劇日記から引用してみると、<開演とともに、暗黒の舞台を、どこからともなく聞こえてくる鈴の音が、巡礼の一行の旅姿を彷彿させる。その鈴の音は、荷車を押していく旅役者達の一行のそれであることがやがて知れる。その旅役者達の一行の姿は、幽鬼か夢遊病者のような足取りで、舞台をゆっくりと、荷車を押しながら蠢((うごめ))く。>
そして、<この芝居はホレイショーで始まり、ホレイショーで終る>とも記している。
今回のオープニングは、亡霊の登場からである。灰白色のフードのついたマントをまとい、顔や姿は見分けがつかない。その動きは、緩慢で、張り詰めた緊張感がある。その亡霊は、フォーティンブラスを演じる舘形比呂一が扮していて、緩慢な所作の中にも、筋肉の張り詰めた動きを感じることが証明されるのは、彼がやがて右腕をそのマントから出して、ゆっくりとした腕の動きの所作を演じるときに、はっきりと目にすることができる。その筋肉質な腕は鋼線のように張り詰めている。
亡霊の無言の所作は、その緊張感の中で、息苦しいまでに無限に続くような長さを感じる。
やがて、舞台後方から、同じくフードのついたマントをはおったホレイショーが登場し、交差するようにして亡霊は退場する。死者達が押す荷車の登場はこの後である。
エンディングでは、ハムレットとレアティーズの剣の試合でホレイショーを除く全員が死んでしまい、後に残ったホレイショーが最後の台詞を語って暗転し終幕となる。
ここで終わりと思っていっせいに拍手が沸くが、しばらく間を置いてハムレットが登場し、第4幕4場、ハムレットがイングランドに船出する際に、フォーティンブラスのポーランド侵攻に遭遇しての独白を語る。
その台詞に誘発されえるようにして、フォーティンブラスがマントを翻して登場し、蝶のように舞台を駆け巡り、やがてハムレットと対になって踊り始める。
この度の舞台は、このようにして、フォーティンブラスで始まり、フォーティンブラスで終る。
今回の演出でもう一つ気付いた違いは、剣の試合の場面である。前回は剣も持たずに、ハムレットとレアティーズはただゆっくりと歩き回って、言葉だけで試合を表象していた。今回は、短剣を持って、二人は激しく動き回っている。
この場面での音楽もかなり激しく演奏され、全体がノイズでカオスの世界と化す。
これは個人的な印象であるが、初演ではハムレットとホレイショー、つまり安寿ミラと旺なつきが一卵性双生児のように感じられたのが、今回そこまで感じなかったのは、二人の進化のせいであろうか。
吉田鋼太郎に替わってクローディアスを演じた山谷勝巳も好演で、非常によかったと思う。吉田鋼太郎とはまた一味違ったクローディアスのヒューモアを感じた。
翻訳/松岡和子、演出/栗田芳宏
2月21日(土)13時開演、東京芸術劇場・中ホール、チケット:(S席)6000円、座席:1階E列7番
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