東京シェイクスピア・カンパニー 『マクベス裁判2003』      No. 2003-022

~ 地獄の壁が崩れる、マクベスを天国に追放しろ!! ~

 東京シェイクスピア・カンパニーのシェイクスピアは、「その後のシェイクスピア」を追及するユニークな作品をこれまでに上演してきている。といっても、僕がこれまで見てきた東京シェイクスピア・カンパニーの作品は、今度で3作品目に過ぎないのだが。

 最初の出会いは、2000年の『リアの三人娘』、2番目が01年の『ポーシャの庭』で、昨年は上演がなく気になっていたのだが、チラシでこの公演を知った時久しぶりに出会った友人のように嬉しさを覚えた。

 『マクベス裁判2003』は、96年12月に大塚の萬スタジオで『マクベス裁判』として初演され、今回は7年ぶりに演出・キャストをすべて変えてのリメイク版ということである。

 『マクベス裁判2003』は、副題に「地獄最後の日」とあり、地獄に落ちたマクベスが、地獄の責め苦に苦しまないでむしろ楽しんでいるために、地獄の存在が否定され、その壁がまさに崩壊しようとしている。舞台は、魔女達3人が、その壁の修復作業をしているところから始まる。壁は直したあとから崩壊し、修復が追いつかない。その崩壊はマクベスが地獄に落ちてきたときから始まった。

 地獄は前世の悪業のために人間が責め苦を受ける所である。ところがマクベスはその責め苦を苦しむどころか、地獄にいることを楽しんでさえいるようだ。マクベスに課せられた責め苦は、日に660回自らを切り刻むことであるが、それを楽しみながらやっているように見える。携帯電話でデイトの約束を交わしたり、天使たちとの合コンを楽しんだり、地獄にあるまじき享楽をしている。地獄の壁の崩壊は、地獄の苦しみを苦しまないマクベスが原因であると考えた悪魔の使いメフィストフェレスは、マクベスを裁判にかけて天国に追放しようと図る。

 それを阻止しようとするのは、3人の魔女を手下に使う地獄の魔王ベルゼベル。このベルゼベルはマクベス夫人に惚れ込んで結婚を迫っているが、彼女は地獄の責め苦を逃れることを選ばず、その申し込みを拒ひる。

 ここまでの話の展開は、その後の『マクベス』であるが、マクベスと夫人がマクベスの裁判をきっかけにして再会した時から、二人の過去の物語が繰り広がれる。

マクベスは、その出自卑しく、ダンカンの傭兵の身分でしかなかったが、ダンカンの姪であるマクベス夫人を妻にして立身出世の道が開ける。二人が結婚してまもなく、男の子が生まれる。名前はマミリアス。二人にはマミリアスだけしか子供がいず、そのマミリアスは10歳の誕生の時、事故で亡くなってしまう。マミリアスの死をめぐって、マクベスとマクベス夫人との間で、芥川龍之介の『藪の中』のような会話が展開されていく。

 マクベス夫人は、マミリアスの死は事故ではなく、嫉妬からマクベスが殺したという。マミリアスの顔がダンカンに似ていることで、マミリアスがマクベスの子供ではなく、ダンカンとマクベス夫人の子供であることを確信したマクベスが、マミリアスを殺したのだろうと詰問する。

 しかしマクベスが天国に追放されるのを阻止しようとするベルゼベルは、魔女の一人にマクベスの部下であったシートンに変身させ、「あれは事故であった」とマクベス夫人に説明させる。

 だが、同じく魔女の一人が変装したマミリアスの登場で話は急転する。マミリアスは、マクベスが天国に追放されるかわりに、地獄の人数の数合わせのために、天国から連れ出されてきた。マクベスは自らの手で、マミリアスの責め苦として彼の身体を切り刻むようにベルゼベルから命じられる。マクベスは苦悩のうちにそれを始めるのだが、次第に悦楽の表情を浮かべながら、その行為を繰り返す。観客はマクベスの背中しか見えないので、その表情の変化は分からない。ただメフィストフェレスの言葉を介して知るのみである。メフィストフェレスは地獄の責め苦に苦しまないマクベスを一刻も早く、天国に追放しようと急ぐ。

 マクベス夫人は、マミリアスがダンカンとの不義の子であり、マミリアスを殺したのも自分であることを白状する。その時マクベス夫人は、「私は赤ん坊を育てたことがあります、自分の乳房を吸う赤ん坊がどんなにかわいいか、知っています。でもほほえみかける赤ん坊のやわらかい歯茎から私の乳首をもぎ離し、その脳味噌をたたき出してみせましょう」の台詞を口にする。『マクベス』のマクベス夫人の台詞は、ここでは過去の事実として語られる。そしてマクベス夫人は、手の汚れを執拗に洗い落とす仕草をする。

 だが、次第にマクベス夫人はマミリアスの殺害が自分でしたことであったのかどうか分からなくなっていき、事態は藪の中となる。

 『マクベス裁判2003』は、このように、その後のマクベスと、その前のマクベスという、『マクベス』の未来と過去の物語の、ミステリー的サスペンス劇である。

 マクベスはプレイボーイとしての2.5枚目役(2枚目の要素と3枚目の要素を兼ね備えている)であり、井手泉のマクベスがちょっとにやけたマクベスをうまく演じている。牧野くみこは、クールで冷め切ったマクベス夫人を演じていて、その無表情のクールさに透明感を感じる。

 紺野相龍の魔王ベルゼベル、須田明の悪魔の使いメフィストフェレス、3人の魔女達を演じる奈良谷優季、大久保洋太郎、川久保州子らがコミカルな演技を通して、テーマの重苦しさに軽味を与えてくれる。

 マクベスのために地獄の壁は崩壊していくのだが、魔女3の「壁の向こう側には何があるのか?」というのは根源的な問いである。地獄の住人である悪魔達は、そのことをそれまで誰も疑問に思っていない。崩れ始めてその修復を重ねることで、魔女はふと疑問に思うわけである。その問いに対して、魔王ベルゼベルは壁の向こうには何もないと言う。しかし何もないのであれば、壁はなぜ必要なのか?!何に対して仕切っているのか?地獄の住人にとっては、それはそれまで疑問ではなかった。しかし人間であるマクベス夫人には壁の向こう側の存在を感じることができる。それは自我の境界であるが、マクベス夫人はその自我が崩壊し、マミリアスを殺したのが自分であったのかどうかももう錯乱の中にある。

 マクベスの地獄は、「天国と地獄」の地獄ではなく、自分自身の中にある。それが「崩壊する壁」として表象される。それは地獄の壁が崩壊するのではなく、マクベスの自我の崩壊である。しかし、すでに死んだ者が自我を喪失するとき、何処へ行けばよいというのであろう?!マクベス夫人もマクベスも自我の壁を喪失してしまっている。

 それは21世紀の我々の姿でもある。ベルリンの壁の崩壊は、それを外面的に象徴する予兆であったのであろう。

 『マクベス裁判2003』は、サスペンとミステリー的な物語の展開を楽しみながら、哲学的な課題を突きつけられ、それを考える興味で二重に楽しむことができる作品である。

(作/奥泉 光、演出/江戸 馨、12月14日、蔵前・アドリブ小劇場にて観劇)


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