劇団AUN 第7回公演 『冬物語』        No. 2003-017

 シェイクスピア後年の作品群であるロマンス劇は、その荒唐無稽で壮大な虚構性のゆえかどうか知らないが、少なくとも日本では上演される機会が非常に少ない。中でも『ペリクルーズ』と『シンベリン』の上演は殆どないが、今年になって前者は、蜷川幸雄の演出で素晴らしい感動の世界を創造してくれたし、後者は子どものためのシェイクスピア・シリーズとして山崎清介が斬新な演出で楽しませてくれた。それに引き続いて劇団AUNが取り組んだ『冬物語』を観る機会を得られたのは幸運であった。偶然の結果であるが、シェイクスピア当時の上演年代順の公演となった。

 ロマンス劇として『冬物語』が『ペリクルーズ』と『シンベリン』が似通っている点は、<死と再生>のテーマであろう。正確には「死んだ」と思われている、あるいは信じ込まされているだけで実際には死んではいない人物が、長い年月を経て生き返る。この演劇的手法は、たとえば『ロミオとジュリエット』や『から騒ぎ』などにも一過性の虚構死として見受けられるが、後期のロマンス劇ではその虚構性が大掛かりであるという点で際立っているように思える。

 『冬物語』は周知のように、前半部と後半部のイメージが「暗」から「明」へと180度転換することで特徴がある。

 幼なじみの親友であるボヘミア王のポリクシニーズが、シチリアの王リオンテイーズを訪れてから早や9ヶ月の歳月が過ぎようとしている。国事が心配になってきたポリクシニーズが明日帰国するということから物語は始まる。それを引きとめようとして自分では成功しなかったために妻のハーマイオニに説得するよう頼むが、妻が余りにポリクシニーズになれなれしくしている姿を見て、リオンテイーズは突然に嫉妬の激情に襲われる。それは全くの唐突な<激情>である。嫉妬には理由は要らない、ただ嫉妬深いから嫉妬するのだと言ったのは確か『オセロー』のイアーゴの妻エミリアであったが、リオンテイーズの嫉妬がまさしくそのようなものである。このリオンテイーズの感情が激変する姿を演じる中井出健の演技は、台詞術、その所作、その声の質までもが、この劇団の代表者であり、この作品の演出者でもある吉田鋼太郎の演技に瓜二つと言っても過言ではないものであった。

 前半部のこのリオンテイーズの嫉妬の場面は、余りの唐突さと激しさゆえに嘘っぽくなりがちだが、そうならないようにするためにもリオンテイーズの演劇的リアリズムの演技力に相当なエネルギーが必要であると思う。そのエネルギーのパワー全開の演技を中井出健に見た。その迫真の演技は、椅子を投げ、テーブルをひっくり返し、自分を痛めつける激しさで観客を圧倒する。虚構だと分かっていても見るものに感動の感激が襲ってくる。

 リオンテイーズによって大逆罪の罪で裁判を受けるハーマイオニは、アポロンの神託で無実と身の潔白を告げられたにもかかわらず、リオンテイーズは神託を否定する。そのため彼はアポロンの神の怒りにふれ、息子マミリアスを失うことになる。ハーマイオニは、生まれたばかりの我が子が追放され捨て去られたことを聞かされたことに加えて、マミリアスの死を聞いた悲しみが重なってその場で気を失い、そのまま死んでしまった(とリオンテイーズには告げられる)。マミリアスの死とハーマイオニの死で初めてリオンテイーズは自分の過ちを覚り、悔悛の苦行を自らに課す。

 15分間の休憩の後、舞台は16年後のボヘミアへと移る。後半部の明るさを象徴するかのように、海辺で真っ白なビーチチェアに、ボヘミア王ポリクシニーズとカミロがくつろいでいる。16年の歳月が過ぎたことを告げる「時」のかわりに、カミロが波で打ち寄せられたビンの中に入っていた紙切れを取り出し、「時」の台詞を読み上げるという面白い趣向を取っている。

後半部の「明」は、オートリカスと羊の毛刈り祭りで大展開する。オートリカスを演じる北島善紀がうまい。そして毛刈り祭りの底抜けに陽気な気分は、羊飼いの息子(道化)の恋敵同士モプサとドーカスが、オートリカスの売り物の「唄」を競演する場面で最高の盛り上がりとなる。羊飼いの老人を演じる鶴忠博の、テンポがずれたような台詞がほっと息を抜かせる絶妙さがあって舞台の緊張感を緩めてくれる。

 クライマックスはハーマイオニの彫像の場面である。生きた人間を彫像として扱う二重の虚構性に、本物の感動をいかに伝えるかというのは難しい。千賀由紀子の演じるハーマイオニは、ポーリーナの言葉に従って、目を閉じたまま手を前方に緩やかに伸ばし、台座からゆっくりと足を進めて前に出る。それを目にした一同の驚きの表情が、絵に描いたようなストップ・スローモーションで動きが一瞬止まっている。息も止まっている(かのようである)。驚きのシンパシーの波動が、感動へと昂揚していく。胸が熱くなる。

 この演出の中で結構重要な役をしているのが、音楽の効果。沢田冬樹のハープが舞台の緊張感を昂揚し、吉田鋼太郎のギターが感動を揺さぶる。

 ハッピーエンドの大円団で暗転。間を置いて開演時と同様に、舞台上手前方に白塗りされた模型のミニレールと走っている電車がスポットライトに照らし出される。心に余情を伝える象徴性の高い演出効果である。

 上演の劇場は小さいが、感動は大きかった。

(翻訳/小田島雄志、演出/吉田鋼太郎、10月2日夜、ザムザ阿佐ヶ谷にて観劇)



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