立身出世劇場 第29回公演 『港町マクベス』    No.2003-016

〜 「滅びの美学」ヤクザ路線のマクベス 〜

 大阪を拠点とする立身出世劇場のホームページをのぞくと、その旗揚げ公演は87年8月、竹内銃一郎作、関秀人(この劇団の代表者)演出、『今は昔栄養映画館』で始まっており、それ以後は関秀人をはじめとしたオリジナル作品でしめられている。シェイクスピアの作品に関連するタイトルは今回の作品が初めてである。シェイクスピアのタイトルがついていなければ、僕にとっては縁のない劇団であったろう。だから期待2分のシェイクスピアを使ったタイトルへの興味が8分であった。結論を先に言えば、期待以上の面白さ、良質のエンターテインメントであった。

 チラシには、<権力への野望の虜となったひとりの男の物語が、スタイリッシュなアジアン・ノワールとして、いま、現代ニッポンに甦る!>とあるだけで、どのような『マクベス』が展開するのか、そのチラシからだけではうかがい知ることができなかった。

 舞台は、1966年の日本のある港町から始まる。その港町は、暴力団港組に支配されている。主人公のマクベは孤児で、捨て子。教会の牧師に育てられ、幼なじみの在日中国人コウとともに高校を中退し、その港組の組員になることに希望を抱いている。港組の幹部タツミから、賭場代を踏み倒した港湾労務者たちから500万円取り上げてきたら考えてもいいということで、二人は労務者たちに掛け合うが、逆にデコボコに痛みつけられているところをタツミの兄弟分カンダ(関秀人)から助けられる。

 場面は、その港組が仕切るクラブに舞台が変わる。カルメン・マキを思わせるクラブ歌手マキが歌っている。そして人気プロレスラーリッキー大和がホステスに囲まれて酒を飲んでいる。リッキーを演じるおかだまるひの風貌、顔つきが力道山をすぐに思い出させるほど雰囲気がよく似ている。リッキーは在日朝鮮人のボーイから、祖国の英雄と言われたことに対し、「自分は九州生まれの日本人だ」と言って、否定する。しかし、ボーイがなおも執拗に同胞人とすることで、リッキーは腹を立て、思わず朝鮮語でボーイをののしり半殺しの目にあわせるが、屈辱のことば受けたそのボーイはリッキーをナイフで刺す。

 マキのギタリストをしている在日朝鮮人パクが、そのボーイを匿ってもらうためにマクベの養父の教会にやってくる。後を追ってきたカンダに対して、牧師は裸になって自分の背中の刺青をみせて退散させる。牧師は港組の土台を築いた、かつては「地獄の狼」と呼ばれた伝説のヤクザであった。ここらあたりは、ヤクザ映画のカッコよさを存分に発揮している。

 マクベは、自分の生まれを知らず、日本人であるかどうかも分からない。差別を味わい、見てきたマクベの夢は、孤児であろうが、日本人であろうがなかろうが、そんなことには関係なく生きていける町を作り出すことであった。

 1960年代後半の世相を映し出しながら時は過ぎ、マクベとコウは港組の幹部になるため、資金稼ぎで廃品回収のリヤカーを引いて回っている。マクベは、流行歌手として売れっ子となったマキと別れたパクと3年ぶりに出会い、港町の倉庫で上演される芝居見物に誘われる。そこで上演されるのが、『マクベス』。

三人の魔女の歌はアレンジされて、

    夢はうつつ、うつつは夢、

               喜びは悲しみ、悲しみは喜び。

                       お前は私、私はお前。

       何処にも無く、何処にでもある。

                    生ける者は死に、 

                         死ぬる者は生きる・・・・・              (関秀人)

 マクベス夫人を演じたのは、在日中国人白蘭。彼女の祖父は中国マフイアの老板である。

 その中国マフイアと新興ヤクザの浪速組が麻薬の大取引をするという情報が入り、つねに「でかいことをやってやる」と言っていたコウがその取引場所に改造モデルガンを持って出向く。それを知ったマクベはコウの後を追う。一方では取引の横取りを狙うカンダがやはりその場所にやってくる。

 麻薬取引に乗り込んだコウは、逆に浪速組の組長にピストルで足を撃たれる。組長は白蘭の祖父に拳銃で撃たれるが、そこにやってきた白蘭は、自分の父を裏切り者として殺した祖父を、コウのモデルガンで撃ち、その祖父は白蘭を狙った浪速組長を撃ち殺して死ぬ。

 そこへ駆けつけたマクベは、白蘭の殺人の罪を一身に引き受け、10年の懲役に服す。服役中百蘭は、マクベに手紙を書き続ける。漁夫の利を占めたカンダは、今では港組の親分におさまり、政治家をも巻き込んで事業を拡張していく。コウも今では港組の大幹部となっている。パクは組には入らず、過去のスキャンダルで歌謡界を干されたマキと一緒に店を持って頑張っている。

 そうして10年の歳月が流れ、マクベが出所してくる。レコード店から聞こえてくる音楽は解散したビートルズのメンバー、ジョン・レノンの「イマージン」。その曲の歌詞をパクのクラブで、マキから教わるマクベ。

    天国なんてないと思ってごらん。やってみれば簡単ことさ。

    僕らの下には地獄なんてないし、僕らの上には空しかない。

    すべての人々が今日のために生きているんだと思ってごらん。

    国境なんてないと思ってごらん。難しいことなんかじゃない。

       殺し合う理由なんてないし、宗教なんてものもない。

 マクベが描いていた夢、理想郷がジョン・レノンの「イマージン」の中に表現されている。

 養父のいる教会に戻ったマクベは、そこで自分を待ちつづけていた百蘭と会い、二人は結婚する。マクベはカンダの港組で筆頭幹部となって頭角をあらわし、勢力を伸ばしていく。

 百蘭の誕生日の日、彼女のもとに赤いバラの花束が届くが、彼女はそれを捨てる。家に戻ったマクベがその捨てられたバラの花束に、百蘭とカンダとの関係に気付く。白蘭はカンダの情婦だった。嫉妬と騙されていた怒りでマクベはカンダを殺し、組の頂点に立つ。一方、シャブに溺れて情婦の所に居座ったまま妻子のもとにも帰らないコウが組を裏切ったという知らせで、マクベは部下に命じて幼い子供と一緒にコウの妻を殺させる。

 次々と殺戮を重ねていくマクベに対して、忠告にやってきた親友パクすらも殺させてしまう。パクはマクベを見て自分を『マクベス』のバンクオーになぞらえる。

 妻子を殺されてマクベに復讐するコウは、ここで『マクベス』のマクダフの役割を演じることになる。

 孤児で国籍不明のマクベ、在日朝鮮人のパク、在日中国人のコウ。この三人が『マクベス』のマクベス、バンクオー、マクダフの役割で、カンダはダンカン王という構図が成立してくる。そして百蘭はマクベス夫人。その白蘭はマクベの死を見て毒杯を飲んで死ぬ。

 後半のストーリーは一気に『マクベス』をなぞっていく。

 『港町マクベス』は、ヤクザ路線のマクベス物語であり、「滅びの美学」(関秀人)への郷愁である。

 「ばかだなあ」と思われる人間の営みの、愚かなるがゆえの愛おしさ、「滅び」の郷愁と余情を残して、舞台は幕を閉じる。良質のエンターテインメントに満足して、劇場を後にした。

(関秀人作・演出、9月23日、新宿、全労済/スペース・ゼロにて観劇)



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