『夏の夜の夢』は、シェイクスピアのそのままでも面白いが、その脚色版もこれまでいろいろ観てきたが、それぞれに皆面白い。つまり、『夏の夜の夢』は実に懐が深いというか、包容力がある作品である。代表的なところでは(と思っているのは自分だけか?)、シェイクスピア・シアターの出口典雄演出によるスリー・バージョン、「バーの夏の夜の夢」、「学校の夏の夜の夢」、そして「仮面の夏の夜の夢」がある。
いずれにしても、『夏の夜の夢』は、日本では、シェイクスピアの最も人気のある作品の一つで、養成所の発表公演から本格公演まで幅広く上演されてきた。劇団民話芸術座による『夏の夜の夢』は、その劇団の名前からも察せられるように、民話版に脚色されたものである。
劇団民話芸術座の『夏の夜の夢』の公演の感想を一言で言えば、面白いというだけでなく感動的で、教訓的でもある。それは、この劇団のありようとしての性格からくるものであろう。劇団民話芸術座の活動の場は、全国の小・中・高校の巡回公演を中心にしている。ということで、単に面白いだけでなく、そこに感動と、教訓的な雰囲気を含んでいる。
舞台は庄屋の亡霊(声のみ出演)が、妖精の女王タイテーニアに、息子太郎べえに嫁を見つけてくださるようにと頼むところから始まる。そして場面暗転して、南5組の小作人たち(アテネの職人にあたる)が、庄屋の長男太郎べえの結婚披露宴の席で、三百両の賞金目当てに芝居をやることを決心する場面へと変わる。芝居の演目は与一とおつうによる「夕鶴」。この場面転換が意表をつく。舞台装置の転換が鮮やかである。
昼の世界は、「村」の世界で、現実の世界である。そして昼の世界の登場人物の名前は、作べえや、太郎べえといったように、民話の世界風に変えられている。しかし夜の世界、妖精の世界=「森」では、その登場人物は、妖精の王オーベロンであり、女王タイテーニアであり、妖精パックで、「異界」の名前そのままである。
物語の骨格と進展はシェイクスピアの『夏の夜の夢』をそのままうまく踏襲している。異なるのは、小作人与一(ボトムにあたる)の頭がパックのいたずらで、鶴の姿に変えられるところである。これは後の、彼ら小作人たちによる芝居、「夕鶴」の伏線としての仕掛けである。
小作人たちによる芝居は、アテネの職人達の「ピラマスとシスビーの悲恋物語」と異なって、感動的、教訓的に演じられ、劇中劇を観ている3組の新郎新婦たちが、それぞれの異なった角度から感想を語ることによって、観客である僕たちまでが、感動へと誘われる。鶴の女房おつうが、遠く高く飛び立っていくのを追い求める与一の姿が、降りしきる雪を表象する照明の効果で、まるで昇天していくような錯覚を与え、その感動的効果を高めて、瞬時涙を誘う。三百両は、彼ら南5組の小作人たちが見事獲得する。
松野明子が演じた妖精パックの軽やかな動きと台詞も、さわやかで好印象であった。
(脚色・演出/小村哲生、美術/宮原修一、照明/沖野隆一、東京芸術劇場・小ホール1、7月31日観劇)
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