一昨年1月のミュージカル版『十二夜』に続き、俳優座公演の21世紀のシェイクスピア劇第2弾『恋のから騒ぎ』が、武田明日香の新訳で、佐竹修演出により上演された。
タイトルについては、武田明日香によれば、原題の'Much Ado About Nothing'は、「何もないことに大騒ぎ」という意味だが、「から騒ぎ」だけでは何に対してか不透明なので「恋」について「から騒ぎ」しているのだから、「恋の『から騒ぎ』」と銘打った方がより効果的ではないかという意向で『恋のから騒ぎ』にしたという。
新訳による上演台本は思い切ったカットと大胆な変更がある。
幕開きは、勝利の凱旋を祝しての仮面舞踏会の踊りが静止した状態で始まる。
始まりのテンポは祝祭的な感じと相まってよいのだが、本番の仮面舞踏会での会話のやりとりを含めて、波動を感じさせるものがない。
とくにベネディック(堀越大史)とベアトリス(鵜野樹理)の言葉の戦争も、ウィットの先鋭さを感じさせない。
これは翻訳の問題なのか、演技の問題なのか分かれるところだが・・・。
翻訳によるものか上演台本によるものであるかは分からないが、『ロミオとジュリエット』をもじった遊びの部分があった。
一つは仮面舞踏会で、クローディオがヒアローと愛の会話を交わす場面に、「巡礼の手に口づけ」の台詞が入る。
今一つは、ドン・ジョンとボラチオの悪だくみで、ボラチオがヒアローの侍女と逢引のシーンを演じる場面を『ロミオとジュリエット』のバルコニー・シーンをもじって演じたことである。
ここでは、訳者も、ドン・ペドロをして「『ロミオとジュリエット』の台詞まで真似をしている」と言わしめている。
何より物足りなかったのが、ドグベリーとヴァージスの喜劇的要素の欠如である。
この劇の祝祭性を高揚するのはこの二人の喜劇性にあると言っても過言ではないと思うが、その喜劇性が台詞の上にも感じられなかった。
ドグベリーを演じる巻島康一は俳優座でもベテランの一人であるので、演技面での巧拙ではないと思う。
台詞が演技に乗っていないような感じであった。これは登場人物と、台詞と、場面の省略に起因するものがあるのではないだろうか。
ドン・ジョンの従者コンラッドの登場がなく、従ってボラチオとの会話も省略されていているため、ボラチオが間抜けな警吏ドグベリーに逮捕されるきっかけの場面もなくなっている。
また、レオナートの弟アントーニオも登場しないので、ヒアローの純潔の証しをたてようと二人が、ドン・ペドロとクローディオに決闘を挑む場面もなく、舞台の緊迫を高めるのに不足を感じた。老人二人の決闘騒ぎは「蟷螂の斧」の滑稽味もあるのだが、その見せ場もない。
個々の演技には見るべきものもあって楽しんで観られたが、舞台の波動が伝わらないので全体の印象も結果的に間延びした感じとなった。このことは一緒に観劇した娘(17歳)も同じ感想を漏らしていた。
上演時間は、途中15分の休憩を入れて2時間15分。
訳/武田明日香、上演台本・演出/佐竹修
1月26日(日)14時開演、俳優座劇場、チケット:5250円、座席:2列10番
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