高木登 観劇日記
 
  メジャーリーグ制作 『ハムレット』      No.2002-024

 開演とともに、暗黒の舞台を、どこからともなく聞こえてくる鈴の音が、巡礼の一行の旅姿を髣髴させる。その鈴の音は、荷車を押していく旅役者達一行のそれであることがやがて知れる。その旅役者達の一行の姿は、幽鬼か夢遊病者のような足取りで、舞台をゆっくりと、荷車を押しながら蠢く。

 舞台の背景を為して垂れ下がっていた天幕がさっと引き上げられ、そこはテントの芝居小屋となる。片膝をついたホレイショーがその舞台中央で、中空を見つめながら、「ローマ帝国の全盛期、英雄シーザーが暗殺される少し前、墓という墓は空になり」と先ほど見た亡霊について語り始める。そのホレイショーの姿は、当初ハムレットかと見紛うような貴公子然とした凛々しい容姿。バーナードーとフランシスコーの誰何の場面もなく、マーセラスの登場もない。亡霊については、ただホレイショーの口を通してだけ語られる。この開演の場面は、非常に意表をついていて、緊張感が体の中を走り抜けるような感じである。

 この芝居はホレイショーに始まり、ホレイショーで終わる。この芝居にはフォーテインブラスは登場しない。芝居が終わると再び天幕が下りて、最初のように天幕が擂り鉢上にせりあがった背景と化す。芝居を終えた旅役者の一行が一座をたたんで、再び巡礼のような鈴音を鳴らしながら、舞台をゆっくり練り歩く。終わってみれば、すべてが芝居の中の出来事であったかのように仕組まれる。この円還的な循環構造が舞台の余韻を強くする。

 この舞台の特徴はなによりもまず、安寿ミラ・旺なつきの二人が演じる女性ハムレット・ホレイショーと、植本潤・天宮良が演じる男性オフイーリア・ガートルードの性倒錯にあるだろう。安寿ミラと旺なつきのハムレット、ホレイショーが一卵性双生児を思わせるのが印象的であった。クローデイアスには、この役が自らにとって3度目という吉田鋼太郎、ポローニアスは演出を担当している栗田芳宏。間宮啓行がロゼ・座長・墓掘りを兼ね、河内大和がギルとレアテイーズを演じる。8人で演じる『ハムレット』である。この8人は、時にコロスの役目も務めるが、全員がその役を享楽しているのが感じられる。フランスに旅立つ息子レアテイーズに教訓をたれるポローニアスが、なんとこれを歌でやる。この劇ではブレヒト劇のように劇中歌が相当歌われるが、その嚆矢がポローニアスというのが面白い。

 栗田芳宏の演出は、これまで観てきた経験で言えば、登場人物の役者にコロスの役割を負わせるという特徴がある。そのコロスが<揺らぎ>を伴っているのも特徴の一つである。この劇のもう一つの特徴は、俳優の演技だけでなく、宮川彬良のピアノ伴奏の音楽と、舘形比呂一の振付と、栗田芳宏の演出の三位一体、もう一つ付け加えるならば朝倉摂の美術のアンサンブルから成り立っているということである。

 振付の特徴の例をあげれば、ハムレットとレアテイーズの剣の試合場面。二人は剣を持つこともなく、二人とも舞台正面を向いてただ前進後退するだけで試合を表象する。その動きも緩慢で、スローモーションを見るような感じさえする。ガートルードが毒杯を飲んでの死も、クローデイアスの死も、お互いの演技が絡み合うこともなく、並行的に演じられる。それが返って妙に生々しくリアルに感じられる。

 昨年来日したピーター・ブルックの『ハムレットの悲劇』や、今年9月に来日したペーター・シュタインの『ハムレット』同様に、フォーテインブラスの登場しない『ハムレット』であったということも、象徴的な気がする。

 

(翻訳/松岡和子、演出/栗田芳宏、池袋・サンシャイン劇場にて、11月9日(土)夜観劇)

 


観劇日記2001-2002年目次へ