高木登 観劇日記-2001年の観劇日記
 
  PROPAGANDA STAGE VOL.11 「ロミオ&ジュリエット21C」    No.2001-28

〜Unreal city、若者の狂気と病弊の世界〜

 PROPAGANDA STAGEの「ロミオ&ジュリエット21C」を観て思い出したのは、あのデカプリオが主演したバズ・ラーマンの映画「ROMEO+JULIET」。映画と舞台という違いによる差はあるものの、この二つの作品には現代社会の若者の狂気と病弊という共通のテーマ性が伺える。両者の作品の展開と構成は原作にほぼ同じであるが、そうではないともいえる。
そのテーマ性が伺える「ロミオ&ジュリエット21C」のチラシの標語には、<舞台はとあるアジアの大都市。そこにあるもの、そこにあったもの。インターネット、家族、ドラック、無国籍化、デスコミニケーション、母性父権、レゾンデイトウール、若者の苛立ち、クラブ文化、大人達の打算、ストーカー・・・>とある。
舞台の場所の設定は現代のヴェローナであるが、このチラシの標語にあるように、それはヴェローナの町というよりアジアの中の日本、澁谷を思わせ、T.S. エリオットの詩集「荒地」のUnreal city を感じさせる。バズ・ラーマンの「ROMEO+JULIET」の場面もメキシコを感じさせながらも、非在の都市という印象が強い。
ヴェローナは呪われた町。町を支配する二つの勢力が争っている。
ロミオの父モンタギューはマフイアのボス、ジュリエットの父キャピュレットは政治家で、両家の対立は宿怨ともいうべきもの。だが、この物語では両家の両親は背後にあって現実の舞台には全く顔を出さない。
地方の田舎町マンチュアから、ヴェローナに家出してきた二人の若い娘リンとエムが、コーラスのような役割をもって場面の要所要所に登場する。
舞台の中心は若者の世界。大人は非在で、unreal である。
ジュリエットの乳母の代わりに家庭教師の若いマリア。修道士ロレンスに代わっては、シスターロレンス。ヴェローナの大公エスカラスは、ヴェローナの町を取り締まる警部エスカラスへと置き換わる。
マフイアの跡取り息子ロミオは、内気で極端に人見知り、初めてあった人とは言葉を交わすこともできない小心者。心を開けるのは携帯電話のメールだけ。そして今は顔も知らないメル友の女性に恋していて、メール交信に夢中でますます自分の殻に閉じこもる。
一方ジュリエットは父親の意向で、名門校ヴェローナ大学を目指すべく家庭教師のマリアがつけられているが、本人は大学進学よりも写真家の道を進むことを望んでいて、<世紀末>を撮るのに一生懸命である。そのジュリエットを、大富豪の息子パリスが許嫁としてストーカーのように追い回す。
ロミオとジュリエットは、若者達のイベントの場キューブで初めて出会う。ロミオのまだ見ぬ恋人のメル友はジュリエットだった。性格が正反対ともいうべき二人が磁石のように引きあって、急速に恋に陥る。
テイボルトは宿敵のロミオがジュリエットと恋仲になったことが許せない。喧嘩騒ぎでテイボルトは、ロミオをかばったマキューシオをナイフで過って刺し殺す。マキューシオが死んで逆上したロミオは、パリスのピストルを取り上げテイボルト、サムソン、グレゴリーの3人を撃つ(原作と異なるのは、テイボルトは重傷を負うが死なない)。ロミオは殺人者となったが、喧嘩の原因がテイボルトに過失があることから死刑を免れ、マンチュアへ永久追放となる。
この事件でパリスとの結婚を急に早められたジュリエットは、シスターロレンスの秘薬を使って40時間の仮死状態となり、キャピュレット家の霊廟に安置される。だが、運命のいたずらでマンチュアのロミオの元に届いた知らせは、ジュリエットの死の知らせ。自暴自棄となったロミオはヴェローナに戻れば死刑になるのもかまわず、ジュリエットの所へと急ぐ。
ヴェローナの町に戻ったことが知られたロミオはエスカラス警部に追跡される。バズ・ラーマンの映画では、ヘリコプターまで出撃しての大追跡劇となる場面である。
追跡を逃れたロミオはキャピュレット家の霊廟で眠るジュリエットを発見し、絶望の悲嘆でドラッグの売人から求めた毒薬を服毒し自殺する。仮死状態から目覚めたジュリエットはロミオの死を嘆き、その最後の顔を写真に撮り、自分が追い求めていた<世紀末>を「あなたのおかげで撮ることができた」という言葉を残しピストル自殺する。
ジュリエットのカメラをマリアから形見として譲り受けたマンチュアの家出娘リンは、ジュリエットが追い求めた<世紀末>にかわって<希望>を探して撮り続けることを決意する。
エンデイングは、舞台の四方にめぐらされたビデオとスクリーンに、<世紀末>と<希望>の写真を撮るために町に出たジュリエットとリンの姿が写し出され、ビデオのその風景がしばらく続く。
見終えた後、どんよりと重たいものを腹の底に感じながら席を立った。この中途半端な感じは何だろう?!
胃の中で不消化物を反芻するような不安定な気持が残った。「ロミオとジュリエット」であって、「ロミオとジュリエット」でないという感じ。これは演出者、砂川仁成の意図するところでもあるのだが・・・

(脚色・演出/砂川仁成、中野ザ・ポケットにて、11月11日(日)昼観劇

 

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