高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   ウィリアム館公演 『ヴェニスの証人』               No. 2002_025

〜 「証人」は誰だ?! 〜

 『ヴェニスの商人』をあえて『ヴェニスの証人』に替えたのはなぜか?その意図が伝わってこない。
 「証人」を広辞苑で引くと、「@証拠に立つ人。証拠人。A保証に立つ人。保証人。うけにん。B訴訟法上、裁判所から過去に経験した事実について報告(供述)を命ぜられた第三者」とある。この中でヴェニスの商人=アントーニオとの関係で一致する「証人」は、Aの意味である。
 アントーニオは、バッサーニオがシャイロックから3千ダカットの借金をする「保証人」となる。だがその意味でのみ考えると、この『ヴェニスの商人』の世界が卑小化されてしまう。
 ヴェニスという世界交易の中心地のイメージがもつ広い世界が、法廷の世界に閉じ込められる。
 こういうことは考えられるであろうか。登場者全員がヴェニスという世界の「証人」であると。
 そう、時代の証し人として。また、それぞれがそれぞれの関係において互いに「証人」であると。
たとえば、最後の大円団で、ポーシャが若い裁判官は自分であっとことをバッサーニオに告白し、ネリッサは若い書記が自分の変装であったとグラシアーノに告白する。
 その「証人」はポーシャに対してはネリッサであり、またその逆も然りである。第三者としての「証人」はロレンゾーとジェシカということになる。劇中このような関係はいたるところで見られるであろう。
 ともあれ、タイトルに期待した「なにか」は得られることはなかったが、この若い集団のシェイクスピアへの取り組みを評価したい。
 ウィリアム館の公演は、これまで観てきた全公演が、360度全方位をステージとする。そのことは観客に対してはすべてをさらすことを意味する。
 プロローグとエンデイングに工夫を凝らしている。
 プロローグでは、シャロック、裁判官に扮したポーシャ、そしてアントーニオの3人が「慈悲の台詞の場面」を観客席に囲まれた中央の狭い舞台をゆっくりと一周しながら演じる。
 ポーシャは新聞紙大の証文を引き裂きながら、シャイロックに慈悲を訴える。
 プロローグでの台詞はゆっくりとした緩慢な口調である。
 この緩慢な所作のプロローグが暗転して、アントーニオの憂鬱の場面へと移る。
 エンデイングでは、大円団の決着でポーシャとバッサーニオ、ネリッサとグラシアーノ、ジェシカとロレンゾーのそれぞれのカップルが幸せに浸るように退場していき、アントーニオ一人が舞台に残る。
そしてジェシカが一人舞台に戻ってきて、舞台の片隅で跪き祈る。
 最後は、紙おむつ姿で、棒切れ2本を杖代わりにして、シャイロックが舞台をコツコツと音をたて、腰にはかつて金庫代わりの大きな鞄を繋いでいた鎖、今はその鞄もないまま、その鎖を引きずりながら行き過ぎる。
 その背後から彼を追い払うように空き缶が投げつけられる。この場面はベルリーナ・アンサンブル公演の『リチャード二世』の舞台を思わせた。
 ウィリアム館製作の舞台でいつも感じることだが、女性パワーが活躍することである。
 ポーシャには無名塾から客演の江間直子、それにネリッサの大井華恵が切れのいい演技をする。
 石黒裕美がランスロー・ゴボーと公爵の二役を務める。このランスロー・ゴボー、例のシャイロックの屋敷から逃げようか逃げまいかの場面がなく、すこし物足りない感じではあった。
 シャイロックを演じる小長谷勝彦も抑制と激情をよく出していたと思う。


訳/小田島雄志訳、演出/関川慎二
10月18日(金)夜、東京オペラシテイ・近江楽堂


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