高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   スカイスケープ主催 『フォーティンブラス』             No. 2002_013

〜 呪われた城エルシノア、そして誰もいなくなった 〜

 俳優座の公演『八月に乾杯!』の観劇当日(27日)にもらったチラシでこの公演を知ったのが、ちょうどこの劇の上演開始の日であった。
 早速<ぴあ>にその日のうちに予約を求めてテイケットの購入に走ったが、上演開始後のテイケットは取り扱っていなかった。やむなく予約なしで平日(30日)を選び、当日券で観劇。座席は幸運(?)にも、ステージ席をゲット。その席は、ステージ後方から観劇することになるが、舞台の構造はエプロン・ステージの変形で、先端が船首の形となっており、座席ではあたかも客船にでも乗ったような気分であった。
 チラシには、<ハムレットの最後の一言は、「フォーティンブラスを国王に」、ここから、『フォーティンブラス』の物語は始まる><あのハムレットの劇中にたった2回しか出てこないチョイ役、フォーティンブラスがなんと主役!愛と尊敬を込めて原典『ハムレット』を本気のパロデイにしてみました>とある。
 『ハムレット』をパロデイにした代表的作品といえば、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』がある。
 また、日本では劇団扉座の横内謙介の作で、フォーティンブラスの父親を亡霊にしたバックステージものとして、『フォーティンブラス』がある。
 さて、リー・ブレッシング作になる『フォーティンブラス』は、『ハムレット』の結末からその物語が始まる。
 だが、その前に『ハムレット』の物語のおさらいをするように、5人のハムレットが独白を中心にして、ボールを投げ合うようにして、台詞を次々に回して事の顛末を物語る。
 実際に途中、ボールを次の相手に投げて台詞を回していく。
 5人のハムレットは白のTシャツと黒のパンツ姿で、モノクロのイメージの演出。
 フォーティンブラスの登場からカラー演出となり、衣裳もカラフルとなる。惨劇シーンの後、オズリックが登場し、これから『フォーティンブラス』の劇が始まるという開演の案内と、携帯電話の電源を切るよう観客にお願いする。
 ハムレットの「フォーティンブラスを国王に」という最後の言葉で、当然の権利としてフォーティンブラスはデンマークの国王に就く。
 しかしながら、事の顛末については、ホレイショーの語る<真実>の話では国民を納得させられないというフォーティンブラスは、ポーランドからのスパイ進入説をでっち上げる。
 そしてそのために、名目だけのポーランド遠征を企てる。この軍隊は、フォーティンブラスの思惑とは反対に、ポーランド征服だけにとどまらず、更に西へ西へと侵略を続けていき、彼を慌てさせる。
 フォーティンブラスのもとに、まずポローニアスの亡霊が現れる。だが、このポローニアスは生前のおしゃべりを反省して一向に口を開かない。続いて現れるオフイーリアは、快活で積極的であり、フォーティンブラスと関係をもち、フォーティンブラスの意志はオフイーリアに操られるようになる。
 そしてクローデイアスとガートルードがフォーティンブラスの前に現れ、罪深い二人を聖域の墓から掘り出してくれと懇請する。レアテイーズの亡霊は、オフイーリアがフォーティンブラスと親しくするのを見てやきもきする。最後に現れるのは、ハムレットの亡霊。
 しかし、ハムレットのみは「閉じられた存在」で、テレビの箱の中からビデオの映像として語りかける。
 ハムレットはフォーティンブラスに懺悔の祈りをしているクローデイアスの背後から短剣で刺すよう命じる。
 クローデイアスは自分の贖罪を果たすかのように、嬉々として進んで殺される。といっても既に死んだ身の亡霊ではあるが。クローデイアスの殺害により、呪縛が解けるようにして、ハムレットは箱の中から解放される。当然のことであるが、亡霊であるクローデイアスは死なない。いや、亡霊としての存在を続ける。
 一方、フォーティンブラスのポーランド・スパイ説も、実際のスパイがいないと真実味が乏しいということで、追従者のオズリックをスパイに仕立てる。
 オズリックはホレイショーの反対にも関わらず、むしろすすんでそのスパイ役を引き受ける。
 フォーティンブラスは直言を憚らないホレイショーを真実の友人としたいと願い、彼の要請を受け入れて、オズリックを「苦痛の身から解放するように」と隊長に命じる。
 だが、隊長はその意味を取り違え、死をもってオズリックを<苦痛の身>から解放する。
沈黙を守っていたポローニアスの亡霊は、「残された時間がない」とフォーティンブラスに告げる。それはフォーティンブラスの死を予告するものであった。
 オズリックの死を知ったホレイショーは、フォーティンブラスを襲って殺す。
 場面は暗転して、フォーティンブラスが天使のように真っ白なガウン姿で登場し、この物語の初めにしたように、遠眼鏡で城壁から遠方を覗く。そこへホレイショーが登場し、彼もまた、自分がローマの武将らしく死んだことを話し、フォーティンブラスの軍隊の侵攻を報告する。
 フォーティンブラスの軍隊は、何の抵抗を受けることもなく、西の国々を次々に征服していき、ついにはインダス河のほとりまで行き着く。そして膨張した軍隊は、そのインダスの河で、一人残らず溺れ死んだという。
 今や、デンマークのエルシノアの城には誰もいなくなった。いるのは、亡霊たちだけとなった。
 この劇ではフォーティンブラスは徹底的にパロデイ化され、苦労知らずの若者として扱われるが、シェイクスピアの『ハムレット』に登場するフォーティンブラスは、第1幕第2場でクローデイアスの台詞を通して語られる歪曲された人物像を別にすれば、フォーティンブラスの台詞自体で感じるその人物像は、武人としての行動力と思慮を弁えた若者として感じられる。その辺の大きなギャップがパロデイの意図でもあろう。
 この劇の自分の期待感に反して、冒頭5人のハムレットの台詞からまず落胆させられた。台詞に生命がなく、感動がない。彼らの台詞自体の声が十分通らず、聞き苦しいところがあった。
 佐野瑞樹が演じる主役のフォーティンブラスの登場も、パロデイ化を意識しすぎているのか、漫画チックでいかにもノー天気な感じを第一印象で与えてしまい、その印象が拭えないままお終いまで引きずっていく。それに引きずられるようにして、大人の演技を見せるはずの新井康宏のクローデイアスと前田美波里のガートルードも、浅薄な演技となっている。もっともこの場合は二人が重厚な演技をすれば、逆に全体がチグハグな感じになってしまうであろうが。パロデイの喜劇としても中途半端で、笑いの感動もない。心にぐっとくるものがないのだ。観劇の後の感動にも乏しく、期待はずれであったのが残念である。
 また、1500円もするプログラムも、キャストの紹介の豪華な写真もいいが、折角のことなら原作者のリー・ブレッシングについての紹介がほしいところである。


 
作/リー・ブレッシング、翻訳・演出/青井陽治、美術/淡路公美子


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