高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   劇団AUN第4回公演 『リチャード三世』              No. 2002_010

 開演とともに、両脇から支えられるようにして、エドワード四世(栗田芳宏)が後方の観客席通路を通って登場し、舞台中央奥の大きな十字架を背にした椅子に就く。
 舞台は暗転して、入道頭のリチャード三世(吉田鋼太郎)が舞台中央。回りには全員が河原乞食の役者か、宿場女郎の夜着のような着衣で、コーラスのような役を務める。歌や語りのコーラスでなく、ヴァイオリン協奏曲のBGで、玉座に座るエドワード四世が振るタクトの指揮に合わせ、ヴァイオリンを弾く仕草をしたり、リチャード三世の台詞に乗って、蠢動し、舞台を這いずり回る所作をする。
 このコーラスの役目は場面の要所要所でなされることになる。
 この演出で思い出すのは、昨年AUNが上演した『リア王』の舞台。同じく栗田芳宏演出で、吉田鋼太郎がリア王を演じ、今回同様、つるつるの入道頭。
 舞台両脇を紗幕が覆い、その内側ではコーラスの人物が舞台進行に従って、妖艶な蠢動をしていた。
 今回はその紗幕こそないが、同じような演出方法である。
 その著しい例が、リチャード三世がアン(坂田周子)に求婚する場面である。リチャードが求愛し、アンが拒絶する。求愛と拒絶を繰り返すに従い、アンの拒絶も激しくなる。だが、それは激しさ故に、求愛の受け入れを裏返したような拒絶となって恍惚感へと変貌していく。
 その間コーラスの一群は、アンの激しい拒絶の言葉にエクスタシーを感じるようにして、セクシアルな男女の交合の蠢動を繰り返す。アンがリチャードの求愛を受け入れたとき、その交合がオルガスムスに達する。アンも同じように、リチャードの求愛の攻撃に落ちたとき、オルガスムスに達する。
 栗田芳宏の演出による『リチャード三世』は、同じ六行会ホールで、一昨年の12月にメジャーリーグ公演でも上演されている。その時のリチャード三世には大地康雄、吉田鋼太郎はバッキンガム公を演じている。
 栗田の演出を解して笹部博司が、「シェイクスピアの演出はその世界をある様式で捉え、支える必要がある。
 シェイクスピアは大衆演劇としてのワイ雑さと、哲学的な深みとが同居する。だからシェイクスピアの舞台はワイ雑なエネルギーと深い人間への洞察が必要である。
 栗田芳宏はそのことが直感的にわかっていて、彼の舞台はその方向を目指している」と述べている。そのワイ雑さという点については、今回の方が徹底しているように思われる。それが今回「カオス」として、そのテーマが表されたのだと思う。
 印象的な場面としては、この劇のエンデイング。リッチモンドが、紅バラ、白バラ統合の表象として、彼とエリザベスとが結び合わされることで成し遂げようと宣言する台詞でこの劇は終わりなのだが、その最後の台詞の後、静寂。そして中央奥の十字架が半分に折れて前面に倒れる。そこに現れるのは、燦然とした光を受けたエリザベス。
 エリザベスは一言も語ることなく、ヴァイオリンを手にして、実際に曲を弾き始める。ここにカオスが収まり、新しい時が始まろうとするのを象徴する。
 全体的な印象としては、騒然としたワイ雑感のみが強く、メリハリが乏しかった気がする。
 途中、かなり睡魔に襲われ、見逃した場面も多い。期待が大きかった分、残念な気がする。 

 
 
小田島雄志、演出/栗田芳宏
4月13日(土)、品川・六行会ホール


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