高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   ASC結成5周年記念・第23回公演 『ジュリエットの悲劇』       No. 2001_027

〜 <生>にポジティブなジュリエット 〜

 アカデミック・シェイクスピア・カンパニー(ASC)が結成5周年を迎える。その記念すべき舞台は本来『ハムレット』であるはずだった。
 それが、カンパニーの代表者、彩乃木崇之の構想が膨らみすぎて収まらなくなり、10周年への持ち越しとされた。そして『ハムレットの悲劇』ではなく、『ジュリエットの悲劇』が公演される運びとなった。
 なぜ『ロミオとジュリエット』ではないのか。彩乃木崇之のシェイクスピアへの取り組みは、常に新しい切り口をもったテーマ性を帯びているのが魅力である。
 『ロミオとジュリエット』は、対立の構造の上に成り立っているというのが一般的な見方である。大人社会と若者との対立、旧弊な名門両家の対立、その対立の渦中におかれ、犠牲となったロミオとジュリエットの究極の恋愛悲劇、というのがこれまでの見方であった。
 その見方に疑問を投げかけることで彩乃木が発見したのが、<生に対してどこまでもポジティブであろうとするのは、唯一ジュリエットだけだ>ということである。
 彩乃木は言う。<ロミオを含めその他の登場人物は全て、ある時からあるいは物語のはじめから生に対してネガティブである>と。
 そのような目で見てみると、若者の対極的な代表であるテイボルトもマーキューシオも、どこか死に急いでいるようなところがある。
 この舞台の印象では、テイボルトは生に否定的な陰の世界に属し、マーキューシオは生に肯定的な陽の世界に属するが、どちらも死に急いでいることでは同じ立場にある。
 <生>に積極的であるだけでなく、<性>に積極的なのもジュリエットである。ロミオに結婚を口にさせるのはジュリエットの仕掛けによってである。ジュリエットは生きるためには死ぬことをも恐れない。
 その第一がロレンス修道士の調合薬の服薬による仮死。生きるための手段としての仮死である。最後はロミオの死を眼にして、短剣で胸を刺し自ら命を絶ったのも、死んだロミオと共に生きるため、というように解することが出来る。
 鈴木麻矢が、生にポジティブなジュリエットにはまり役である。恋愛においてもロミオの先導役となっているジュリエットを闊達に演じきっている。
 鈴木麻矢はジュリエットの役に入る前に、舞踏会の案内の手紙を届ける召使い役を演じる。召使い役からジュリエットに早変わりすることで、ジュリエットに道化的な明るい雰囲気が残像として残る。
 舞台では、マーキューシオとロレンス修道士を演じる菊地一浩の演技が冴えていた。特にマーキューシオのbawdyな台詞にうまく所作を交えて、嫌みのない卑猥さをよく出していた。
 乳母役の小坂井秀行も面白い。
 舞台構成としては、密儀を思わせる密室的な印象がした。
 バルコニーの場面の演出では、ロミオとジュリエットを長テーブルの上を前後に立たせての台詞の取り交わしは面白い趣向だった。
 凝縮された演出で、1時間40分の上演時間。

 

訳/小田島雄志、演出/綾乃木嵩之
10月27日(土)14時開演、銀座みゆき館劇場、チケット:3500円、座席:E列5番


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