高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   劇団扉座創立20周年特別企画・第24回公演 『ハムレット』    No. 2001_020

〜 『ハムレット』から『ハムレット』へ 〜

 『フォーティンブラス』が『ハムレット』の入れ子構造としての面白さを持つ時、劇中劇の茶番ハムレットが、本番『ハムレット』でどのようなハムレットとなって現れるのか、興味深いところである。
 佐藤累央演じるハムレットは、一口で言えば<絶叫>ハムレットである。独白の台詞も質量的には絶叫である。このハムレットは変容の過程がなく、一直線に破滅へと向かっていく。
 この『ハムレット』が『フォーティンブラス』の入れ子構造、合わせ鏡であると書いたが、それはキャステイングにおいて強く感じるものである。
 『フォーティンブラス』の劇中劇『ハムレット』のハムレット役の岡森諦は、本番『ハムレット』ではクローデイアスになっていて、単に二つの劇にまたがっての二役であるが、二番続けてみると、前夜のイメージが残像として現れてくる。
 オフイーリアは、『フォーティンブラス』では、舞台が初めてというタレントの設定であるが、この『ハムレット』では、文字通り初舞台の新人南奈央を抜擢採用して、『フォーティンブラス』の設定を文字通り踏襲。
 道化としての墓掘り、オズリック、フォーテインブラス(亡霊ではない方)の役である六角精児、赤星明光、山中たかしの3人は、『フォーティンブラス』の劇中劇としての『ハムレット』の登場人物を、本番『ハムレット』でも同役を演じる。
 つまり、『フォーティンブラス』の劇中劇をそのまま入れ子のように嵌め込んだ形式となっているので、二つの劇が連環構造に思えるのである。
 この劇団の自由な若さを感じたのは、旅役者の場である。
 ヘキュバの場の朗唱は、この劇団扉座のレパートリーであった(と思うのであるが)『怪人二十面相のために』が演じられ、この劇団のことをよく知っている人は、ここで多いに笑えるところだろう。
 上演時間は休憩なしで2時間15分ということで、当然の事ながら相当のカットがあるが、カットで気になったのは、役者達の劇中劇の後でのクローデイアスの懺悔の祈りで、ハムレットは現れない。この場面のカットはこれまで記憶にないので、その意図に興味を覚えた。
 『フォーティンブラス』を観た後で注目を引くのは、最後の惨劇のシーンにフォーティンブラスが登場する場面である。
 このフォーティンブラスに、赤ん坊を抱きかかえた若い妻がそっと横に来て寄り添う。
 明日への未来を感じさせる光があり、柔らかな温もりをも感じさせられる印象的なエンデイングであった。

 

翻訳/井上優、上演台本/横内謙介
8月30日(木)19時開演、紀伊國屋ホール、チケット:4200円、座席:N列15番


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