高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   イーサン・ホーク主演、映画 『ハムレット』             No. 2001_005

 マイケル・アルメイダ脚色・監督作品、イーサン・ホーク主演の『ハムレット』は一口で言えば<映像の流体>。
 ケネス・ブラナーの質量感あふれる『ハムレット』の後ではもう当分、映画『ハムレット』のチャレンジはないのではと思っていたが、そうか、こんな手もあったという『ハムレット』をアルメイダ監督は作り上げた。
 時代設定は思いっきり現代、今、現在である。場所は、ニューヨーク。
 舞台は、マルチ・メディア企業"デンマーク・コーポレイション"。
 ハムレット一家はニューヨークにあるホテル・エルシノアの客室で暮らしている。
 物語の設定と展開は原作の流れに沿って、台詞もシェイクスピアの言葉で語られる。
 ホテル・エルシノアの大広間で、クローディアスがキング・ハムレットの継承と、クイーン・ガートルードとの結婚を記者会見の場で公表する。
 デンマーク・コーポレイションの会長は、シェイクスピアの『ハムレット』同様にキングと呼ばれ、その妻ガートルードはクイーンと呼ばれている。
 キング・ハムレットの亡霊は、マーセラ(女性)とバナード(黒人)とホレイショ―によって、ホテルの警備室のモニターで目撃され、亡霊は映像によって確認される。
 オフィーリアは体に隠しマイクを付けられ、ハムレットとの対話を盗聴される。
 オフィーリアはハムレットと同様に映像に凝っており、暗室で自ら写真の現像もする。
 ハムレットの'To be, or not to be'はブロックバスター・ビデオの店内をうろつきながら独白される。ここはまさに映像の渦である。
ハムレットは、父ハムレットの亡霊の言葉を確かめるべく、弟が兄の王を殺すという物語の自作映画の完成試写会を催す。シェイクスピアの劇中劇の場であるが、これは映画中映画で、まさに映像の映画化である。
 ハムレットは母ガートルードに呼ばれて寝室に出向くが、そこで鏡張りのクロゼットに隠れていたポローニアスをピストルで撃ち殺す。
 クローディアスは、ローゼンクランツとギルデンスターンの二人を監視役にしてハムレットを暗殺させるべく、イギリスの支店へと送り出す。これは船に代わって飛行機である。その飛行機の中で、ハムレットは監視役の二人が寝ているすきに、パソコンにおさめられたeメールのミッションを盗み見て、内容を書き換える操作をする。
 狂ったオフィーリアは、花の代わりに自分が撮った写真をクイーンやレアティーズに手渡す。
 オフィーリアは全体を通じて無人格、無表情の印象で、実在の重みを感じさせない。映像の流体に漂う漂流者のようである。
 オフィーリアの死はホテル・エルシノアの室内プールの溺死として発見される。
 ハムレットとレアティーズのフェンシングの試合は、ホテル・エルシノアの屋上で、ニューヨークの夜景を背景にして行われる。
 クローディアスはハムレットの勝利に対して、乾杯のワインに毒入りの真珠を入れるが、ガートルードはそのことをはっきり毒と分かっていて、飲み干して死ぬ。
 一連の出来事はテレビのニュースとして報道され、物語は閉じられる。
映像は映像をもって閉じられる。それは映像の流れ、映像の流体ともいうべき展開である。
 登場人物もその中で漂っている漂流者である。そして全体の印象は<映像の渦>。
 これがこの映画を見た時の印象である。


(恵比寿シネマ・ガーデンにて見る。1月31日記)

 

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