高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   劇団四季公演 『ハムレット』                    No. 2001_004

 前日は朝から雪がしんしんと降り積み、そんな中を三軒茶屋のシアタートラムに"ぼうふら座"旗揚げ公演『恋の病』(尾崎紅葉作、末木利文演出)を観に出かけながら、ふとこんなことを考えた。
 何の因果でこんな雪の中をいそいそと観劇に出かけるのかと。これは、「恋の病」ではなく「芝居の病」かと。
 ケネス・ブラナーの映画『ハムレット』の第一部の終了の場面で、ハムレットがイギリスに送り出されるとき、デンマークを通過するフォーティンブラスの軍隊と出会うのが、雪の中。非常に鮮明な印象として残っているのだが、そういえば、『ハムレット』の舞台では雪の場をこれまで見たことがないな、と思った。
 そんな事を考えながら、明日の『ハムレット』はどんなだろうと、期待に弾んだものだった。

 劇団四季の『ハムレット』には、これまで感じたことのない期待感があった。
四季の『ハムレット』と言えば、日下武史をすぐに思い出す。自分は見ていないのだが、1982年10月、日生劇場で、日下は劇団四季30周年記念公演『ハムレット』のタイトル・ロールを演じている。その当時日下は51歳。
 今回、日下はポローニアスを演じる。これも楽しみであった。 
 今回の公演ではハムレットを、タイプの異なる二人、石丸幹二と下村尊則が演じ、自分が観たのは下村尊則のハムレットである。
 『ハムレット』の舞台はこれまでにもいろいろなタイプで観てきたが、ここらでスケールの大きなものを観たいものだと期待していた。舞台の大きさではなく中身のスケールで、浅利慶太にはそんな期待を抱かせる何かがある。
 今回の舞台でまず特筆したいのが、ジョン・ベリーとエリザベス・ベリー夫妻による舞台装置と衣装。(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの舞台デザイナーであったジョン・ベリーは、2000年11月12日逝去、享年75歳)
 ジョン・ベリーが創り出した舞台は、シンプルながら多様に変貌する。競技場のトラックを思わせる白線のラインが走る奥行きのある黒い舞台は傾斜舞台となっていて、ある時は城壁に、ある時は宮殿の広間に変化する。小道具も必要最小限に効果的に使用される、
 次に特徴的なのは、劇団特有の発声法による台詞回し。台詞が非常にしっかりしていて、声がよく通っていた。だが、反面均質的な感じがした。
 下村尊則のハムレットは、中性的な<静>のハムレットであった。行動するハムレットではないが、憂鬱なハムレットでもない。ニュートラルである。そしてどこか甘さのあるハムレット。強烈な印象を残すハムレットではないが、時間ともに記憶の薄れるハムレットかどうかは、時間を待たなければ何とも言えない。
 野村玲子のオフィーリアは、泣かないオフィーリアだ。
 墓堀人、オズリック、ガートルードの役などは、今一つの足りなさを感じた。
 蜷川幸雄の演出では、異質なもののぶつけ合いからくる調和を創造し、その意外性が劇的効果を生み出し、小田島雄志がいうところの<カオス>があり、シェイクスピアのごった煮のよさを保っている。
それに対して浅利慶太の演出は、よく調理されている反面、カオスのダイナミズムに欠ける。まとまりがよく、上品に仕上がっていて、つけ入る余地がない。だが、舞台が終わってみると、どこか物足りない。
 使用している福田恆存訳は、格調が高く、品格があり、雅文的でもあるが、その分、小田島訳を用いている蜷川幸雄との違いを感じた。

 

福田恆存訳、浅利慶太演出
1月28日(日)13時開演、四季劇場<秋>、チケット:(A席)5250円、座席:1階15列34番

 

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