高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
    彩の国・シェイクスピア・シリーズ 『テンペスト』          No. 2000_12

いつかは観たいと思っていた蜷川幸雄の『テンペスト』。
日生劇場の初演から13年目。初演でプロスペローを演じた平幹二朗を、今回彩の国さいたま芸術劇場で観ることが出来たのをまず幸運に思う。
開場とともに劇場内に足を踏み入れると、そこには佐渡の能舞台を中心にして、これから始まる舞台の準備の風景が拡がる。
舞台上では、雑談や準備運動に余念のない俳優たち―トリンキュローを演じるたかお鷹やミランダ役の寺島しのぶの姿が目に入る。開演までの30分間、その情景を眺めているだけでも楽しい。
なかでも寺島しのぶが元気よく、広い劇場内の観客席通路をいっぱいに使って駆け上っては降りていく運動を繰り返し、柔軟体操や開脚屈伸運動などを身軽にこなしている。
舞台は佐渡の能舞台を中心にして繰り広げられ、ひなびた片田舎の能舞台からは想像を絶するスペクタクル的な嵐の場面から始まる。
蜷川幸雄はシェイクスピアのもつ言葉の魔術を、想像の世界からリアルな世界に翻訳する。それは、我々の貧弱な想像力を破壊して、蜷川幸雄の想像力の世界へと巻き込む魔術をもっている。
シェイクスピアの言葉の魔術が、蜷川幸雄の想像力の魔術に翻案されるともいえる。
シェイクスピアの台詞劇では、嵐は我々の想像力で作り出す以外にはないが、蜷川幸雄はその想像力の世界に嵐をいっぱいに、かつリアルに繰り広げる。
見どころの一つとして期待していたたかお鷹のトリンキュローと沢竜二のステファノーの登場する場面は、その期待が大きかったのとは裏腹に全体的に面白さのまとまりに欠けていたのは、このベテラン二人の演技が互いに相殺し合ったためであろうか。
平幹二朗のプロスペローは期待に外れず、圧倒的な存在感があった。台詞にも力があり、台詞劇としても十分に堪能できた。
寺島しのぶも豊かな感情表現で好演し、その表情を観ているだけでも楽しかった。
蜷川幸雄の演出は総合芸術ともいうべきもので、装置(鈴木俊朗)、照明(原田保)、衣裳(小峰リリー)、音楽(宇崎竜童)と、どれをとっても素晴らしかったが、なかでも今回の演出で目を引いたのが、照明の効果であった。
蜷川幸雄の演出のけれんみは、見る側のものに想像力を働かせる余地のないまでに、彼のイメージで我々を包み込んでしまうところにある。言うなれば、蜷川幸雄の作り出す想像力の世界に酩酊させられてしまうとでもいうべきものである。
シェイクスピアの言葉の魔術の世界、言葉による想像の世界の拡がりから、造形されたイメージの世界に閉ざされてしまう危険性がある。
佐渡の能舞から佐渡に流刑された世阿弥からは人の住まない孤島に追放された元ミラノ公プロスペローを、孤島を去るに及んで魔法の杖を折ったプロスペローからは『テンペスト』を最後に筆を折ったシェイクスピアと、多層的に意味の連関性に飛翔することについては、ここでは語る必要がないほど語りつくされている。
大きな舞台であった。

(訳/松岡和子、演出/蜷川幸雄、5月28日(日)18時開演の部、
彩の国さいたま芸術劇場・大ホールにいて観劇。
チケット:(S席)10,000円、座席:1階I列10番)

 

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