高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
    彩の国・シェイクスピア・シリーズ 『夏の夜の夢』          No. 2000_10

面白さにもパワーというものがある、ということをこれほど感じたことはない。
見て面白い、見て楽しい、それだけでも十分価値がある。
その上にパワーを全身で味わうことが出来る、これほど嬉しいことがあるだろうか。
蜷川幸雄の『夏の夜の夢』は、理屈なしにそんな面白さに満ち溢れていた。
蜷川の『夏の夜の夢』は、東京グローブ座(当時はパナソニック・グローブ座)で観て以来4年ぶり、二度目の観劇であるので、初めて観る物珍しさとか、新奇性に驚かされるということはないが、再発見の新鮮な驚きを改めて感じることが少なくなかった。
今回の上演で特に印象が強いのは、ボトムをはじめとするアテネの職人たちである。
職人たちの半分が前回と比べて入れ替わっているが、ボトム役の大門悟朗はそのままで、その彼が舞台を一人で食っているといってもいいほどのっていて、台詞にも遊びがあり、アドリブのツッコミに観客ものってくる。
今回は随所にシェイクスピアの他の作品の台詞を割り込ませ、笑わせてくれた。
『マクベス』の「バーナムの森が動く」や、『ハムレット』からの台詞や、劇中劇の『ピラマスとシスビー』では『アントニーとクレオパトラ』や『ロミオとジュリエット』のパロディまで入る。
<喜劇はチームワークだ」と言ったのは三木のり平だが、今回、このアテネの職人たち3人が入れ替わったことに対し、大門悟朗が「新しい仲間と一緒に心合わせ、チームワークの職人をと張り切っています」と述べているが、この初心に帰ったチームワークが面白さにパワーを与えたのだと感じた。
大門悟朗のボトムや、不破万作のピーター・クインスらに舞台を独り占めされた感があるのをぐっと引き戻すのが、森の妖精の女王であるタイテーニアを演じる白石加代子。こちらも演技に余裕があって、台詞にも遊びがあり、見ていて、聞いていて、ぐいぐいとのせられる。大門悟朗のボトムにつられてのせられた、というところであろうか。
こんなところが、今回感じた面白さのパワーである。

【閑話休題―舞台メモ】
舞台は、京都龍安寺の石庭をイメージ。
森のイメージは、天井から白い砂を白い糸の滝のように流すことで、森の木立ともとれるし、妖精の異界を表象するともとれる。上から落下してくることで、意識が垂直の方向に向けられる。
蜷川幸雄の特徴のパターンとして、よく上から物を落とすことが挙げられる。
この『夏の夜の夢』では、白い砂と、真っ赤な薔薇が落ちてくる。
『リア王』では、嵐の場面に、石が落雷のようにして落ちてきたし、『リチャード三世』では馬が落ちてきて驚かせた。
パックの役は二人一役で、台湾の京劇俳優林永彪(リン・ヨンピョウ)が京劇の振り付けで舞台のパックを演じ、プロンプターがパックの台詞を語るという趣向であった。
京劇風の白い衣装が、石庭の白い砂とのイメージに溶融していた。
妖精たちは男優が演じて、歌舞伎調。
ボトムがロバに変えられたのを見て、職人たちが逃げ惑うさまはスローモーションの動き。
大富士演じるスナッグが衣装の浴衣を脱いで相撲の化粧まわし姿になって四股を踏む。
職人たちのそれぞれのスローモーションでの表情が笑わせる。
公爵の前で演じる『ピラマスとシスビー』の劇中劇は大いに笑わせる。
赤褌一つの姿で、白い漆喰を塗った塀の役のスナウト(塚本幸男)も奇抜で面白いし、シスビー役の城戸祐二も大衆演劇の面白さで笑わせてくれる。
カーテンコールでは、惜しみなく三度四度と観客の声に応えて、お馴染みの蜷川カーテンコール風景の、総立ちになっての拍手、拍手で、興奮が波のように伝わってきた。

さて、蜷川幸雄の『夏の夜の夢』が、なぜかくも面白いのか。
それは『夏の夜の夢』がもつファンタジーの世界を十二分に表現しているからだと思う。
京都の石庭龍安寺というリアルな世界(アテネの世界、秩序の世界)をファンタジーの世界(夜の世界、妖精の世界)へと見事に変貌させている。
開演まで、観客はあたかも龍安寺の縁先で、しばらくの間、石庭の<無>の美しさに没我の境地で瞑想に陥るかのような気になる。
石庭はリアルな世界のものであるが、非日常的世界のものでもあり、石庭は自らその対照的存在を内包している。
蜷川幸雄がシェイクスピアを演出する場合、日本人にとっての日常的なものへと還元する世界を作り出すのを特徴としている。
『NINAGAW・マクベス』の仏壇の舞台、『テンペスト』の佐渡の能舞台、昨年上演されたナイジェル・ホーソン主演の『リア王』の能舞台の鏡板の使用など、いずれも伝統的な日本的なものであるが、また、非日常的なものでもある。
蜷川幸雄にとっての『夏の夜の夢』は、先に京都の龍安寺の石庭のイメージがあって、それをキーワードにして芝居が出来上がったという。意味付けは後からついてきたものである。
石庭のイメージから、衣裳は必然的に和風調となるが、小峰リリーの衣装は、和風調の中にもモダンさがあり、斬新であった。
妖精たちの演技には歌舞伎調の様式美を感じる。
様式は型であり、約束事であるが、その制約が生み出す美が、ファンタジーの世界を紡ぎ出す。
ピーター・ミルワードは『夏の夜の夢』の人気の所以をこのように説明している。
<一つに、この戯曲がとっても空想的であるということ。次に、ファンタジーだけでなく、それとは対照的なリアリズムとユーモアの手法が採られている。そして三つ目の特質として、アテネの恋人たちの本筋を支えるロマンティックな愛のテーマである>(『日本人とシェイクスピア』より)
蜷川幸雄は、この三つの構造をしっかりと把握して舞台化し、シェイクスピアの面白さを身体で感じさせてくれた。

(訳/小田島雄志、演出/蜷川幸雄、音楽/宇崎竜童、装置/中越司、照明/原田保、
衣裳/小峰リリー、
4月29日(土)夜の部・19時開演、彩の国さいたま劇術劇場・大ホールにて観劇。
チケット:(S席)9000円、座席:1階I列3番)

 

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