高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』          No. 2000_04

古田新太と生瀬勝久の『ローゼンクランツとギルデンスターン』は、とにかく面白い。
不条理劇とか、シェイクスピアの『ハムレット』を裏返した作品、などとかの堅苦しい説明抜きで面白く見せてくれる。
鵜山仁演出による古田、生瀬のロズ・ギルは1994年の初演から今回が3度目の上演となる。
古田、生瀬のキャスティングと、彼らの関西弁の台詞の仕掛け人は、演出の鵜山によるとこの企画のプロデューサーである笹部博司であるらしい。
ロズとギル二人だけの時の会話の関西弁が、図らずしてこの劇の内蔵する不条理性を強調する、そこがまた面白い。
この劇の面白さは他にも舞台美術がある。
中越司のセッティングは大胆でシンプルである。
舞台の場面展開、進行を舞台いっぱいの本の頁をめくることで表す。
開演時は本が閉じられていて、その本の表紙には飾り文字のアルファベットで「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」と書かれている。
開幕と同時に頁がめくられていて、そこにはロズとギルのコイン投げの賭けの勝負のチェックマークが書かれていて、二人はコイン投げの賭けを飽くことなく続けている。
その結果は、何度やっても「表」が出るばかりで、ロズがずっと勝ち続けている。
二人の運命はこの冒頭のコイン投げの賭けに象徴的に表される。
この賭けでは、コインの「表」しか出ない。
確率的には半分は「裏」が出るはずであるのに、である。
彼らの運命が確実な死でしかないように、コインは何度投げても「表」しか出ない。
死は確率性の問題ではなく、確実なものであるように。
ギルは確率性の問題からこの賭けを疑がってみるが、ロズは少しも変だとは思わない。
そもそも彼らはなんでそんな賭けを繰り返しているのだ?!
彼ら自身が、自分たちが何をしようとしていたのか、どこへ行こうとしていたのかさえ忘れている。
忘れていたというより忘れていたかったのかも知れない。それを思い出させるのが旅役者たちの一行。
旅役者たちは、『ハムレット』の劇中劇を引き出す触媒体ともいえる。
ハムレットをはじめとして、クローディアス、ガートルード、ポローニアス、オフィーリアなどは、ロズとギルが紛れ込んだ劇中劇の人物、というより、ロズ・ギルの劇全体の風景のような存在で、リアル感が薄い。
あえてそのようにリアル感を薄くしているところに、劇構造の二重性のリアリティを感じる。
トロイ演じるハムレットが、実に希薄な存在感しか見せないところが不均衡なバランスを生み出している。
ハムレットがなぜ希薄に感じるかといえば、ロズ・ギルのずっこけたキャラクターに対して、トロイのハムレットが端正で貴公子然として、会話の位相がずれていることによる。
『ハムレット』におけるロズとギルの存在は、たとえて言うならば屁のような存在で、臭いはするが実体がない。
二人には名前があって、ないに等しい。
どちらがロズでどちらがギルでも一向に差し支えない。
時として、彼ら自体が自分らの名前を間違えて紹介するほどに、自らが存在感を薄くしている。
存在感の薄い二人が強烈な存在感を示す分だけ、まわりの『ハムレット』の人物たちが裏返しに、存在感が薄くなってしまう面白さである。
原作『ハムレット』の部分は風景のように淡々と演じられ、原作の劇には出て来ない部分が濃密に描かれる。
トム・ストッパード作『ロズ・ギルは死んだ』の内容の面白さもあってのことだが、キャスティング、演出、美術等あいまって、芝居の面白さを増幅して堪能させてくれた。
セッティングの本の最後の頁は、事の顛末を語るホレイショーの台詞だが、その中の『ロズ・ギルは死んだ』の文章だけが、色違いの印刷で文字が書かれるという心憎い演出にも、中越司の美術にも楽しまされた。

(原作/トム・ストッパード、訳/松岡和子、演出/鵜山仁、美術/中越司、
2月6日(日)14時開演、 渋谷・BUNKAMURA・シアターコクーンにて観劇。
チケット:(S席)6500円、座席:1階F列17番)

 

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