高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   ちかこSあどべんちゃあ公演 『オフィーリアのいるキッチン』     No. 2000_022

 我々は日常生活において誰もが役を演じている。
 家庭では夫や妻の役を演じ、外では会社員や主婦の顔を演じる。
 それは誰も意識しない演技であり、外の世界ではそれらしく振る舞うだけ無意識の演技を伴う。
 会社では、銀行員なら銀行員らしさの演技を求められるが、誰もそれを演技とは言わない。
 その演技が窮屈になればなるほど、家庭では解放を求めることになる。
 しかし、主婦は家庭ではその束縛から逃げ場がない。
 妻を演じることに疲れた時、女はどうする。
 この物語の主人公、山崎道子は平凡な妻であった。
 夫の正とは学生時代からの付き合いでそのまま結婚し、正は区役所の戸籍係に勤め、二人はごく普通の夫婦であった。道子は夫から見て何の不足もない妻であり、主婦であった。
 だが、道子はそういう妻、主婦を無意識で演じていたことに疲れを感じ、本当の自分を求めて学生時代にやっていた演劇の道に入っていく。
 夫はそれを理解しているわけではないが、主婦としての務めを果たすならという条件で許している。
 ところが道子は、いつのまにやら炊事洗濯は夫に任せっきりとなり、今度は学生の頃の夢であった『ハムレット』のオフィーリアの大役を得て、自分のイメージのオフィーリアの役作りの為に食事制限をして減量の真っ最中である。
 それで、今日も正はテレビを見ながら夕食を一人で取っている。
 舞台はここから始まる。
 理解はしていないものの許してくれている演劇活動に、道子は正を自分の台詞の相手に引き込もうとしている。
 オフィーリアの相手役だから、それはハムレットということになる。
 ただでさえ、最初の約束、演劇をやってもいいが炊事洗濯はきちんとする条件も守られていないのに、そんなことはとんでもないと、正は抵抗して受け合わない。
 しかし、道子が夜中のジョギングの最中にからまれた酔っぱらいを、逆に手を出して怪我をさせてしまう。
 公務員という立場にある正にとっては、そんなもめ事が一番まずい。
 道子に一緒に謝りに行くことを勧めるが、彼女は悪いのは向こうだと言って頑として聞き入れない。
 立場のない正は、道子の言うことは何でも聞くからと頼み込んだが、気付いて後の祭り。
 正は結局、道子の相手でハムレットをやることになる。
 正は、初めこそ不承不承でハムレットをやるが、これが正の気づいていなかった窮屈な公務員の立場を日常生活で演じていることからの内面の解放となる。
 道子は、状況説明と合わせてハムレットの心境を正に説明し、そのように台詞を言うように指示を出す。
 この場面には作者の思い入れが入っていて、パンフレットにある作者の杉浦久幸の「役者の衝動から」を引用すると、
 <笑われることを承知で書いてしまうが、僕の中にいつかハムレットを演ってみたいという、身の程知らない衝動があって(中略)、だから、というわけでもないのだが、この作品でハムレットの解釈をしたいわけでも、その魅力を分析してみたいわけでもない。僕としては、ハムレットの台詞と対峙していく役者の心情に興味があるわけで、言ってみれば、現実の生活者の視点からハムレットを捕えてみると、どんな物語ができあがるか、そこに興味が湧くのである>
 そこから読み取られるのは、作者が演ってみたくて演れないでいるハムレットを、正に演じさせているともいえる。
 そして、正は<現実の生活者>の視点から台詞を語るので、余計な事を言っては脱線し、道子に正されてばかりいる。
 だが、劇団にスポンサーがついてオフィーリアの役が道子から他の者に回される。
 電話でそのことを告げられた道子は放心状態となり、劇団を退団する。
 正は劇団のご都合主義に腹を立て、殴り込みをかけ、怪我をして帰ってくる。
 道子はそのまま狂気に陥るかと心配されたが、演劇活動に反対しているように見えた正が自分のために闘ってくれたことで、気を取り戻す。
 舞台は暗転の後、一転して明るくなり、道子と正は封筒の袋詰めの最中で、道子の劇団旗揚げの案内を封筒に詰めているところである。そして、二人の会話―
 道子、「ちょっとだけ小さな役だけど、やってみる?」
 正、「人が足りないようだったら、考えてもいいよ」
 ―そう、誰もが心の中で、日常の演技の中で、非日常の演技を求めている。
 道子を演じたのは、岡崎ちか子。
 正を演じた小田カズマサは<等身大の生活者>としての演技が好ましい。日常の生活者としての等身大の姿であり、見ていて納得できた。正にとって妻道子のオフィーリアは、日常生活における非日常的闖入者であり、日常生活の破壊者である。しかし、自らがハムレットを演じるとき、部外者が内在者となって一体となって融和する。

 1時間40分の上演が濃密で、心ゆくまで堪能させられた。
 この公演は、“雑司ヶ谷シェイクスピアの森”代表幹事である伊藤昌雄さんを通じて案内があり、招待の扱いで観劇することが出来た。

(作/杉浦久幸、演出/田村連(ザ・スーパー・カムパニー)、
制作/ちかこSあどべんちゃあ、山本礼子、
9月29日(金)19時開演、銀座みゆき館劇場にて観劇)

 

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