高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   The White Company 公演 Hamlet           No. 2000_014

 ロンドンについて2日目、ロンドン在住の鈴木真理さんのご配慮で、今回のイギリス旅行での最大目的の一つであるグローブ座での『ハムレット』を楽しんだ。というより、グローブ座そのものの見学を堪能した。
 6名の一行ではさすがに同じ場所の席は確保できず、それぞれバラバラに座ったが、私は皆さんから優先的に席をいただき、3階席の正面左斜めの席で、切り妻窓の2砲の大砲が斜め前方に見渡せる位置で、舞台は斜め正面から見下ろす格好となる。この席で26ポンド(約4500円)。
 話には聞いていたが、上演の最中に上空をジェット機が飛んだり、ヘリコプターが飛んだりして、その音が観客席まで伝わってくる。さすがにその時は出演者の声が大きめになってくる。
 シェイクスピアの時代のグローブ座を忠実に再現したとあって、舞台後方のギャラリーも観客席となっており、数名の観客が席を占めていた。当時ギャラリーの客は劇を観に来たというより見られるために来たと言われる通り、観客の注目の的となる。
 しかし、実際には劇が始まってしまうとそんなことなど忘れてしまって、観る方は舞台に集中してしまう。
 照明効果もなく、日中の明るい舞台での演出は如何なるものになるのか、それだけでも興味が尽きない。
 舞台の始まりは真夜中。観客は台詞だけで夜を想像しなければならない。
 だが、意外に違和感はない。むしろ照明という効果のないシンプルさが小気味よい。
 すべてがシンプルな中で衣装だけがメリハリを利かす。
 登場人物の識別は台詞を除けばこの衣裳しかなかったので、この衣裳は大事な役割だといえる。
 ハムレットは例によって台詞通りの黒い衣装。しかし、佯狂のハムレットの衣装は白で、これは狂ったオフィーリアも白い衣装で、象徴性を帯びる。
 舞台での登場、退場は弧を描くような動きで、これもシェイクスピア当時の舞台を彷彿させる。
 グローブ座は単なる劇場というより、一種の観光施設の性格も帯びているだけに、全体の印象としては観客(観光客)へのサービス精神も旺盛ではないかと思える演出である。
 ハムレットは全体的に貧弱に感じた。演技もそうだし、台詞に至っては平板で物足りなさを感じた。
 ‘To be, or not to be’もメリハリがなく、注意して聴かなければ聞き逃してしまいそうであった。全体的に沈んだ声の調子で、声の通りが今一つよくなかった。かといって声量がないわけでもなく、太い声も出ていた。
 佯狂のハムレットというより、道化のハムレットというのが一番の印象であった。
 役者としては、ポローニアス役とオフィーリア役がよかったと思う。
 懐かしかったのは、東京グローブ座でのAs You Like Itの公演で、アダムとハイメンを演じたリーダー・ホーキンズがノルウエー王への使者役のヴォルティマンドとして出演していたことである。
 ぜんぜん知らない役者の中に、一人でも自分が知っている役者がいるとそれだけでも親密さが深まる。
 途中、15分と10分の休憩を挟んで3時間半の上演であった。省略は当然のことながらあるものの、大筋において忠実な演出といえた。
 鈴木さんのお話では、グローブ座ができた当初の『冬物語』の公演では演出する側にも戸惑いがあったせいか、イギリス人にも面白くなくて不評であったそうである。
 それに比べれば、この度の『ハムレット』は観客サービスに行き届いており、観客にもかなり受けたのではないかと思われる。グローブ座という舞台にも使い勝手が分かってきたといえるのではないだろうか。
 幕引きは、バーレスク風に登場人物が全員、髑髏を頭部にいただいた長い杖(棒)を持って、舞台の床を勢いよく打ちながら前後ろと回りながら踊る。後方から黒い衣装の死に神が、シンボルの長い鎌を持って中央前方へと踊り進んでくる。その死に神の黒い衣装の下から、白い衣装の死に神の子が生まれ出てくる。この子供の死に神は、ハムレットの佯狂の白い衣装と同様に道化の象徴で、舞台上でfoolとして振る舞う。
 楽しい幕引きの中に、象徴的なコントラストを描き出す、これがサービスだと思った。

(演出/Giles Block、6月2日(金)14時開演、ロンドンのグローブ座にて観劇。
チケット:26ポンド、座席:Upper Gallery K1)

 

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