13年前、日生劇場での初演のチケットを買っていたものの、妻が亡くなるという不幸でそのチケットを無駄にしてしまって以来、いつかは観てみたいと思っていた蜷川幸雄の『テンペスト』。その初演でプロスペローを演じた平幹二朗を、今回、彩の国さいたま芸術劇場で観ることができたのを幸運に思う。
　開場とともに劇場に足を踏み入れると、そこには佐渡の能舞台を中心にして、これから始まる舞台の準備の風景が広がる。雑談や準備運動に余念のない俳優たち。たかお鷹や寺島しのぶが目に付く。
　開演までの30分間、その風景を眺めているだけでも楽しい。なかでも、寺島しのぶが元気よく、広い劇場内の観客席通路をいっぱいに使ってかけ昇って降りていく運動を繰り返し、柔軟体操や開脚屈伸運動など身軽にこなしている。
　舞台は、佐渡の能舞台を中心に繰り広げられ、鄙びた片田舎の能舞台からは想像を超えたスペクタル的な嵐の場面から始まる。
　蜷川幸雄のシェイクスピアは、シェイクスピアの持つ言葉の魔術を、想像の世界からリアルな世界へと翻訳する。それは我々の貧弱な想像力を破壊して、蜷川幸雄の想像力の世界へと巻き込んでいく魔力を持つ。
　シェイクスピアの言葉の魔術が、蜷川幸雄の想像力の魔術に翻案される、ともいえる。
　シェイクスピアの台詞劇では、嵐は我々の想像力で創り出す以外にはないが、蜷川幸雄はその想像力の世界の嵐を、舞台いっぱいにリアルに繰り広げる。
　トリンキュロー（たかお鷹）とステファノー（沢竜二）が登場する場面は、期待が大きかったのとは裏腹に全体的にまとまりに欠けていたのは、二人のベテランの演技が互いに相殺し合ったのであろうか。
　平幹二朗のプロスペローの演技は、存在感も大きく圧倒的であった。台詞に力があり、十二分にその台詞力を堪能した。
　ミランダを演じた寺島しのぶも感情表現が豊かで、その表情を見ているだけでも楽しかった。
　鈴木俊朗の舞台装置、原田保の照明、小峰リリーの衣装、宇崎竜童の音楽など、どれをとっても素晴らしく、総合芸術として楽しむことができたが、特に原田保の照明が非常に効果的であった。
　蜷川幸雄は、観る側の者に想像力を働かせる余地がないまでに、彼のイメージで我々を包み込んで虜にしてしまう。言うなれば、蜷川幸雄の想像力の世界に酩酊させられてしまうとでもいうべきものである。
　シェイクスピアの言葉の魔術の世界、言葉による想像の世界の拡がりから、造形されたイメージの世界に閉ざされてしまうという感がある。
　しかし、誰が一体このようにイメージが翻訳された『テンペスト』を作り出すことができるであろうか？
　佐渡に流刑された世阿弥と、人の住まない孤島に追放された元ミラノの大公プロスペロー、孤島を去るに及んで魔法の杖を折ったプロスペローから、『テンペスト』を最後に筆を折ったシェイクスピアと、多層的にその関連性が飛翔する。
　大きな舞台であった。

松岡和子訳、蜷川幸雄演出
５月28日（日）18時開演、彩の国さいたま芸術劇場・大ホール
チケット：（S席）10,000円、座席：１階I列10番