高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   シェカール・カプール監督、映画 『エリザベス』           No. 1999-017
空白

 キャステイングは、ヒロインのエリザベスにケイト・ブランシェット、恋人役のレスター伯ロバート・ダドリーは『恋におちたシェイクスピア』のジョセフ・ファイン、ローマ法王に今年95歳になったジョン・ギールグッド、ウィリアム・セシル卿にリチャード・アッテンボロー、エリザベスの側近ウォルシンガムに『恋におちたシェイクスピア』でヘンズローを演じたジェフリー・ラッシュと、シェイクスピア劇を演じた俳優がずらりと並ぶ。
 なかでも『恋におちたシェイクスピア』の記憶が鮮明に残っているジョセフ・ファインが演じるロバート・ダドリーとエリザベスの恋は、『恋におちたシェイクスピア』を観ているのかと錯覚させられた。
 人間エリザベスとしての変貌の過程は、彼女の衣装の変化で表象されていく。
 王位に就き権威を増していくにつれ、衣装も重々しくなっていく。
 ヴァージン・クィーンとして英国国家と結婚すると宣言するエリザベスは、髪を切り、眉を落とし、顔は真白な白粉(おしろい)で表情を殺し、衣装は荘重華麗で権威を誇示するのにふさわしいものである。この衣装については監督のシェカール・カプールは次のように語っている。
 <節目ごとに、衣装は重量感を増し、襟飾りは高くなって、首から胸にかけた肌が隠れていく。衣装の色も同様だ。赤はだんだん着なくなって地味な色になる。黒へ、そして最後は純白へ。女王だけでなくほかの人の衣装も、例えば、宗教統一を諮る場で、女王だけは赤を着て、議員はみんな黒一色。黒という色で議員たちの怒りを表現した>(8月24日付朝日新聞夕刊芸能欄、「『エリザベス』のカプール監督語る」より)。
 衣装代には総予算の五分の四も使った(これは冗談)が、着付けに5時間もかかり、俳優をその分長く拘束し、現場スタッフの半分が衣装係だったという。
 従ってこの映画は衣装を見るだけでも一見の価値があり、その衣装に込められた意味を解く知的楽しみもある。
 カプール監督が「この作品は歴史ドラマではなく、人間ドラマです」と語っているように、この映画を歴史的事実のドラマとして見る過ちを犯してはならないであろう。
 映画『エリザベス』は、エリザベス女王の前半生を描いているので、シェイクスピアとの直接の接点は残念ながらこの映画にはない。
 映画は、メアリー女王(キャシー・バーク)の治世から始まる。
 メアリーはヘンリー八世とスペイン王家出身のキャサリン王妃との間の娘で、エリザベスとは異母姉。
 ヘンリー八世が死んだ時、エリザベスはまだ15歳にもなっておらず、義母キャサリン・パーの邸に住んでいた。キャサリン・パーは海軍卿シーモアと再婚していた。シーモアは新王エドワード六世の摂政サマセットの弟で、キャサリンが亡くなった後、兄サマセットに対抗して己の力を強めるために王家の血筋との結びつきをもくろみ、エリザベスに求婚するが、陰謀が暴かれロンドン塔に投獄される。摂政はエリザベスもこの陰謀に連座させようとしたが、彼女は追い詰められながらも切り抜け、海軍卿は斬首の刑に服した。
 映画はここらあたりのテンポが速く進むので、歴史的背景の知識がないとそのテンポについていくのが難しい。
 メアリー女王の治世下でエリザベスは依然不安定な状況に置かれたままであるが、メアリーの死後王位がめぐってくる。
 王位継承を安定させるために、女王の忠実な僕であるウィリアム・セシルが彼女に結婚を勧める。
カトリック教徒のメアリー・ステュアートが第二位の王位継承権を有していたため、イングランドにおけるプロテスタントの命運は、エリザベスが結婚しない限り、ひとえに彼女の寿命にかかっていた。
 映画では、エリザベスとスペイン王との結婚を画策するスペイン大使アルヴァロ(ジェイムズ・フレイン)と、アンジュー公との結婚を画策するフランス大使ド・フォア(エリック・カントナ)とが競争に火花を散らす。
 エリザベスは両者を手玉に取りながら、レスター伯との恋に戯れて時をかせぐ。
そんな折も折、船遊びに興じているエリザベスにどこからともなく射矢が飛んできて、エリザベスは暗殺の恐怖に襲われる。
 レスター伯と女王との恋愛も、レスター伯が結婚していたことが明らかにされ、彼は女王から遠ざけられる。
 レスター伯はエリザベス女王に謀反を企てたノーフォーク公(クリストファー・エクルストン)に加担して罪を問われるが、死罪を免れ、その罪を背負って生きながらえるという罰に軽減される。
 人間エリザベスが、恋を捨て、結婚を諦めるということを、レスター伯との決別で象徴しているかのようであり、人間エリザベスが女王エリザベスに変身し、服装容姿を一変させることでこの映画が幕を閉じる。
 話はそれるが、レスター伯と演劇との関わりは深く、彼の庇護下にあったレスター伯一座にはジェームス・バーベッジがおり、レスター伯がオランダに遠征した際には一座も同行して、その中にシェイクスピアも同行していたという説がある。一座は1574年に女王からロンドン市内での興行許可書を得ているが、これはこの種の許可としては最初のものであった。
 また、バーリー卿ウィリアム・セシルは、映画では女王の不興を買って早々と年金生活を命じられるが、実際には1598年に没するまで、常に女王から最も信頼を置かれ、政治上の助言者の地位を保ち続けた。老獪な政治家として、シェイクスピアが崇拝していたと考えられるエセックス伯と敵対していたことから、彼を『ハムレット』のポローニアスのモデルだとする学者もいる。

(9月22日記)

 

>> 目次へ