高木登劇評-あーでんの森散歩道
 
   劇団昴公演 『空騒ぎ』            No. 1999-013
空白

 ASC公演、小田島雄志訳での『から騒ぎ』に続いて、劇団昴公演、福田恆存訳での『空騒ぎ』を続けて観る機会を得て、それを比較して観るだけでも興味が尽きないものがあった。
 小田島訳を使ったASCの演出は、軽快で、八方破れで、自由奔放で、台詞そのものに動きがあった。
 それに対して福田訳は、端正で、格調高く、どちらかと言えば上品である。
 台詞から受ける両者の印象は、「動」と「静」であった。
 演出の違いは、舞台の背景、時代設定にも表れていた。
 ASCの舞台はこれまでの公演と異なり、ヴィジュアルな実験的効果を狙うものではなく、あくまでもストレートプレイとして台詞で真っ向から勝負しているので、舞台装置もシンプルであった。
 昴の舞台装置も特に凝っているわけではないが、舞台一面に真っ白な本物の砂を敷き詰めていて、地中海の明るさを感じさせるのに効果的であった。
 時代設定としては、ASCは原作通り13世紀ないしはシェイクスピアの当時の印象そのものであるが、昴の演出ではほとんど現代で、内戦を終結させて凱旋してきたドン・ペドロ一行は自動車に乗って帰ってくる(実際には自動車の登場はなく、音のみ)。
 軍服も現代のものであり、頭にはベレー帽をかぶり、腰には拳銃を帯びている。
 しかしながら、全体の雰囲気としては時代不定の感じである。
 見どころとしてのベネディックとベアトリスのやりとりは、両者の配役による違いを反映している。
 ASCでは菊地一浩と那智ゆかり、昴は田中正彦と一柳みるがそれぞれベネディックとベアトリスを演じた。
 個人的な感想としては、菊地一浩と那智ゆかりの方が、二人の言葉の掛け合いも軽快で、言葉全体に動きがあり、アクティヴでよかったと思う。
 全体的にもASCの方がスピーディで、ASCの上演時間、休憩なしでの2時間弱に対し、昴は休憩を挟んで2時間45分であった。
 細かい点に関しては、バルサザーが歌う「涙流すな 嘆くな乙女 男心は 移り気なもの」を、ASCでは全編に通じるテーマソングのように歌われ、バルサザーに代わって那智ゆかりがソロで歌う場 面は聞かせどころでもあった。昴ではこの歌そのものが省略されていたような気がする。
 また、原作ではボラチオが計略としてマーガレットと密会する場面は台詞で語られるのみだが、ASCでは舞台上でそれが演じられるが、昴は原作に順じていの演出であった。
 全体を通しての印象はASCの方が濃厚に残っている。

(訳/福田恆存、演出/菊池准、99年6月20日(日)14時、三百人劇にて観劇、
チケット:4700円、座席:7列15番)

 

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